【読書】村田沙耶香『生命式』と生殖主義
*ネタバレ含みます
先日、村田沙耶香の『生命式』読書会をした。
自分は、村田沙耶香は未読だったので、今回初めて読んだが、久しぶりに「これはヤバいな」と思える小説に出会えた。『生命式』を読み終えてすぐに著者の本を何冊か読んだ。そして、改めて「この作家ヤバいな」と思った。
この作家の何が凄いのか。
一言で言えば、生殖主義を突き詰めているということだ。
どういうことだろうか。
本の内容を軽く説明しよう。
『生命式』は、人口減により、繁殖することが善となった社会の話だ。その中では、人が死ぬとき、葬式ではなく、生命式と呼ばれる儀式が執り行われる。本の中ではこのように書かれている。
生命式とは、死んだ人間を食べながら、男女が受精相手を探し、相手を見つけたら二人で式から退場してどこかで受精を行うというものだ。死から生を生む、というスタンスのこの式は、繁殖にこだわる私たちの無意識下にあった、大衆の心の蠢きにぴったりとあてはまった。
つまり、死んだ人を食べ、その場でセックスする=繁殖相手を見つける。
ある種のパラレルワールド的なSFとして読むにしても、これは非常に衝撃的な内容だ。
ただ、死から生を生み出すというテーマは、過去作の『殺人出産』(10人産むことで、殺人が許される社会の話)でもあり反復されている。
ここで、一つ断っておかなければならないが、実はSFと先ほど述べたが、細かな設定などの面から見れば村田沙耶香の小説はあまり上手な方だとは言えない。
むしろ欠点が目立つ方が多い。
(例えば、30年という時間のうちに、次第に社会が変わっていったと書かれているが、先進国はまだしも、発展途上国も含めて生命式が一般的になるようなことはあまり考えられない)
ただ、この作家の重要性は、こうした「異常」な世界を引き合いに出すことで、変わりつつある世の中の雰囲気を見事に描いているということである。
例えば、経済的に言えば、日本国内の労働及び消費に大きく影響しているのが人口減である。そのため、移民や子育て支援といった対策も取られてはいるが、人口減は止まる様子はない。
働き方改革や定年の延長なども考えてもあまり良い兆しは見られない。さらに言えば、今から仮に子どもを産んだとしても即効性は期待できないし、遅すぎるという問題もある。
一方で、晩婚化による不妊治療の進歩は進んでいる中で、人工授精などはまだまだ一般的になっているとは言い難い。
一般的な保険が効かない治療もあるし、申請をすれば返金されるのだが、手間も必要だ。
そして、身体的に、精神的にもそういった治療は長引くほど、辛くなってくるだろう。
それは、妊娠できるタイムリミットの問題もあるからだ。
さらに、完全な人工子宮による生殖や精子や卵子の冷凍などの方法も検討されているが、やはりそれが「普通」になるのは、まだまだ先の話だろう。もし、経済的に可能になったとして、それを選択することをどれだけの人が望むのかは、非常に興味深いことではあるが、私個人としてはあまり期待はできないと思う。
また女性の人生設計の問題として先ほど上げた妊娠のタイミングの問題は非常にセンシティブな話である。
まだまだ仕事における女性のキャリアプランに対する理解は、日本は遅れていると言わざるを得ない。
医療が発達していく中でも身体的にも精神的にも妊娠は母体に非常に大きな負担になるということは、前提としておかなければならない事実だろう。
村田沙耶香は、こうした社会の問題を、繁殖主義とも呼ぶべき思想により問題を提起する。繁殖することが善であり、その手段を問うべきではない。方法がなんであれ、繁殖をすることは素晴らしいことであり、そこには疑問を挟む余地はないのだと。繁殖することを第一に社会全体を再構築するしかない。
彼女の生殖主義は、もはや、生殖以外の概念を消去しようとさえしている。
例えば、『清潔な結婚』では、夫婦における性行為と生殖を切り離したが、『消滅世界』では、家族ですら生殖には必要がないとまで言い切る。それに、私は恐ろしいと思いつつ、感動してしまうのである。
蛇足
伊藤計劃は、生権力(フーコー)=健康主義のディストピアを描いた作家として有名だが、村田沙耶香は、別の意味での生権力=生殖主義の物語を描いている。
「……私たちの快楽は私たちのもの、あなたたちの快楽もあなたたちのもの、私たちは私たちの快楽を発見する、快楽を裏切らない、私たちは私たちのからだを裏切らない……」
「魔法のからだ」にある上記の言葉は、ミァハを想起させる。
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