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ありがとう #Jリーグ これからもよろしく!

僕は34歳で妻子持ちの無職。まさか自分がこういう人生を歩んでいるなんて子どもの頃の僕は思っていなかっただろうし、今の僕も想像もしていなかった。

Jリーグが始まって、Jリーグブームで友だちがサッカーをやっていたから僕も地元の少年団でサッカーをはじめた。単純だ。当時のみんなも大好きであっただろうヴェルディ川崎の選手たちをスーパースターだと思っていたように僕ももちろん思っていた。

初めてJリーグ観戦したのは名古屋グランパスvsヴェルディ川崎@瑞穂だったと記憶しています。
それから、月日が過ぎて、高校サッカーの総体の県予選で僕がPKを外してチームは敗退した。
大学の時に友達に誘われて名古屋グランパス試合を観に行ったら、ゴール裏の応援にはまって、次の試合からホーム&アウェーに応援をしに行っていた。まあまあ色々あってサッカー業界で約9年(東南アジア約7年、日本約2年)働いた。妻と2018年のロシアワールドカップをスタートしに世界一周旅をしながら、世界のサッカーを観てまわった。

サッカー業界の仕事を辞めて一旦、サッカーと距離を置こうと思ったけど、移住したのがサッカー王国「静岡県」。そりゃ、結局サッカーに触れたいと身体が勝手に動いて(笑)、週末はカテゴリー問わず観戦できる試合に行っています。

結局、僕の人生はずっーーーっと、サッカーのことは考えずにはいられないんだろうなと。
 #Jリーグ があったから、今も変わらず大好きなサッカーを楽しみに日々を過ごせているんだろうなと思った #Jリーグの日 でした。

ありがとう #Jリーグ これからもよろしく!

【お・ま・け】
●Jリーグがあったから興奮できた出来事2つ●
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子どもの時の憧れはヴェルディ川崎の選手たち。妻と世界一周旅で訪れたハンガリーの地でビーチサッカー日本代表の応援をしに行った。今も変わらない僕のスーパーヒーローのラモス瑠偉さんに「応援ありがとう、準優勝出来たのは君たちのおかげだよ」と言われた時は興奮した。
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Jリーグに憧れて、サッカーを始めて、サッカーを仕事にした。
Jリーグがある限りJリーグと共に生きていきたい。
子どもの頃の憧れであった北澤豪さんとボールが蹴れたことが自慢の一つ。
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※他にも人生34年でたくさんサッカーで経験させてもらえたことはnoteでこれからも書いていきたいと思います。

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