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影向図

 書道雑誌「墨」7・8月号に、私の好きな名句・名文というのをテーマに書画作品と文章を寄稿しました。
 私が選んだ名文は西行法師の、

願わくば花の下にて春しなむ 
         その如月の望月の頃

という名歌です。
 旧暦2月、今で言えば3月の満月の頃桜の花の下で人生の幕を閉じよう、という意味でしょうか。なんとも美しい日本人の死生観を表していると思います。

 埼玉県行田市にさきたま古墳公園というところがあります。国宝の鉄剣も出土した知る人ぞ知る名勝地です。そこには前方後円墳や円墳などいくつかの古墳が点在していて、花見スポットとしても名の知られた公園です。
公園の一角には大きな円墳があり、その円墳の頂に桜の木が数本植えられているのです。  この桜が満開になると、この世のものとは思えない古墳と桜のみごとな光景に、思わず涙が流れるほどの神々しさを覚えます。
 私が初めてこの光景を目の当たりにした時、深い感動とともに、西行のあの桜の歌が頭に浮かんできたのです。
 眼前の風景になんとぴったりな歌なんだろう!と、我が意を得たりという感じでした。

 西行法師の歌と言えば、もう一つ好きな歌があります。

なにごとの おはしますかは しらねども
     かたじけなさに なみだこぼるる

 どういうものがいらっしゃるのかわからないけれど、そのものの忝さ、ありがたさに涙が流れます。という歌でしょう。
 この歌は日本人の宗教観、もっと言えば神とはなにかについて言及しています。
そこに何があるかわからないのだけれど、確かに神がいらっしゃる、神の存在を感じる。この感覚は日本人独特のものではないでしょうか。
 自然に存在するもの一つ一つが神となりうるのが古来日本人の宗教観でしょう。

 江戸期の国学者、本居宣長は古事記伝で神について述べています。
 神話に見える神々や神社に祀られる御霊はおろか、人ばかりか鳥獣草木、海川山野に至るまで、この世にあるすべてのもので、優れた徳があって畏れ多く感じるものすべてが神である。

 何とは言えないけれど、確かにそこに神がいると感じる。これこそが日本人の情緒を表しているのではないでしょうか。

磐座影向図(いわくらようごうず)

 日本絵画の一つのジャンルに、影向図(ようごうず)というのがあります。
 主に神道美術などで見られる絵画ですが、影向図とは、神を描いている図なのに神を描かない絵なのです。
 ややこしい言い方ですが、つまり神の姿を描かずに神の存在を匂わすのです。
 例えば「春日曼荼羅」という絵があります。一頭の鹿が描かれていて、背中に祭祀などで使うひもろぎを背負わせています。春日の神のお姿は見えません。我々が見ているのは一頭の鹿のみです。これで春日の神を表しているのです。

 まさに、何ごとのおはしますかは知らねども忝さに涙こぼるる、となるわけです。

 日本人とは、神とはこういうものだ、真理とはこうなんだ、と言わなくても、大いなる自然の御懐に抱かれた畏敬なるものに自然と手を合わせる、そういう民なのです。

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