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【雑記】 能登0日目〜能登訪問/ 災害と集団的トラウマの経験〜

秋田滞在が終了した後、秋田、宮城、神奈川を経て石川県に向かっている。周りの方々のおかげで予定を調整することができ、車で向かっている最中だ。コトの発端は滞在していたお寺の方が「石川、一緒に行く?」と呼びかけて下さったことだった。石川訪問の主な目的は現地の視察。たった2日だけの滞在なので、被害状況の理解をおこなうには時間が圧倒的に足りない。現地で何かをさせて頂くご縁が生まれた時には、あくまで謙虚に振る舞えたらと思う。このような災害、震災が起こると何かをしたいという気持ちが駆動するが、その気持ちを無自覚に振り回してしまうと善意の押し付けが起こり、被災された方々のトラウマを悪い形で活性化させてしまうこともある。まず大事なのは自分を調えて、自分自身の加害性を最小限に留めることだと思った。

「トラウマ 」という言葉を出すのには理由がある。「被害」という言葉を使う時、私は物質的被害だけでなく、潜在的に人が経験する「心的な被害」についても考えることが多い。たとえば、家が倒壊するなどのハード面の被害は前者の被害だ。一方で、「心が折れる」「思い出すだけでウッときてしまう」などの心的状態がオンになりやすくなる状態を後者の被害だと思っている。

このような災害的事象が起こった時に、精神的に大きなダメージを受けた人たちの傷が深くなればなるほど言葉を失ってしまうという話を思い出す。

精神科医の宮地尚子氏が提唱している「トラウマの語り」にまつわる「環状島モデル」という理論をご存知だろうか。

環状島とは、真ん中に沈黙の<内海>がある、ドーナツ型の島のことだ。

宮地尚子氏によると、トラウマを巡る語りや表象は、中空構造をしている。トラウマが重ければ重いほど、内海に佇む人は言葉を持たない。語る言葉が出てこないのだ。対して周縁にいる人たちは雄弁にそれについて語る。

たとえば、戦争を体験したおじいちゃん、おばあちゃんがいて、数十年後にようやく戦争体験について話すことができるようになったという話なんかは、このモデルを通してみるとわかりやすくなると思う。言葉が流れ出すまで時間がかかるのだ。

能登半島について遠い距離にいる私はこの自身によるトラウマを抱えていない。だからこそ、このように言葉を紡ぐことができるのかもしれないし、自分自身が内海にいる人たちとの関わりの中で、心に土足で入っていなかいようにしたいと思っている。人の心にわださまってしまっていることの扱いには気をつけたい。トラウマが解かれていくには時間がかかる。相手が話したいというタイミングが起こった時に、どれだけジャッジせずにただ受け止めることができるかがいつも試されていると思う。言葉を放つことができた時に精神の凝り固まりも同時に放っていくことができる場面も多いが、そもそも震災から2ヶ月半経った現時点では「語り得ないもの」がずっしりと人々の間に横たわっているのではないだろうか。今、多くの人が何らかのトラウマを抱えていると思う。

ぜひ、自分を責めず、なおかつ他人を責めないでほしい。

うまくトラウマの体験について話すことができない人を責めないでほしい。

心の中で結晶化してしまったトラウマ の体験が解けていくのには時間がかかる。ただ見守り、待つことも大事だ。

トラウマを抱えている人は、それに向き合いすぎなくてもいい。すぐ解決しないといけないと急ぐこともない。それを小脇に抱えながら精神が楽になっていく道を少しずつ探していけばいいと思う。

そんなことを思いながら、能登半島に向かっていく車道を眺めている。どういう景色が広がっていくのか。どういう感覚が生じるのか。それは行かないと分からない。この地球を共に生きている人たちの声に少しばかりでも耳を傾けてみようと思う。

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