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うつろいの場 −秋− を終えて 〜「言葉のわかる」と「身体で体感するわかる」〜(京都のお寺・長慶院にて開催)

今日の朝は、京都のお寺・妙心寺派の長慶院さんにて、「うつろい 香りに包まれる朝の坐禅会 -秋-」を開きました。夏の前回は和ろうそくと坐禅をテーマに実施しましたが、今回は「お香と坐禅」の会でした。

私は、お寺(や神社)の可能性が広がっていくキーワードの一つが「うつろい」だと思っています。

妙心寺さんの境内は色づいていく木々にあふれていて、目にも楽しい朝の坐禅会でした。

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整然と並んだ、座布(ざふ:坐禅(座禅)の際に、使う特別な座布団)。

ストーブがあるとほっこりしますね。温かみがある空間です。

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このお部屋は、庭に面しています。明るくなっていくにしたがって、くらやみが徐々に明るくなっていき、空の光の移り変わりも楽しむことができました。

少しずつ明るくなるにつれて、チュンチュンと鳥も鳴き始めました。

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澄んだ空気が入ってくる、朝の一場面。

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10名ほどの方に、集まっていただきました。

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今回、坐禅会を引き立ててくれるのは、香木です。

山田松香木店の方にお越しいただき、香木についてお話を聞きました。

「香りの好みは人それぞれです。言葉で説明するよりも、嗅いでみた方がわかる」ということをおっしゃってましたが、まさにそうですよね。

文化を体験するという時、言葉で説明されるということはありますが、それを通して得られるのは思考的に言葉で分かるという状態。そういうふうに学ぶことも大事です。ただ、一方で、頭でっかちになりすぎてしまうと、身体感覚として分かることがすっぽ抜けてしまうこともあります。

だから、文化は体感すること。それを大事にしたい。自分が気に入る香りを、引き続き探してみようと思います ^ ^ 

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私自身が”香り”が気になり始めたのは、ここ最近のことです。以前行った京都・宇治の源氏物語ミュージアムで、平安時代の香りの文化について知った時、平安時代には香りがものすごく重要視されていた時代があったということを知りました。そこに行ったのは、詩や和歌への興味からだったのですが、香りの世界に自分の目をひらくきっかけになりました。

平安時代だと、主に香りの文化は公家文化の範疇に止まっていたと思いますが、香りというものが、言語と同じくらいに重要なものとして認識されていたのでしょう。

インターネットの展開と共に、コピペした言葉があふれている時代、私は改めて、言葉以外のものに着目していますが、インターネットもありながら心ゆたかに生きていくエッセンスが伝統文化の世界にはたくさん眠っていることを実感しています。

そのポイントになるのは、身体の感覚。それに紐づいた言葉を、言葉にならないものを愉しんでいきたいですね ^ ^

また、文化を改めて掘り起こしていきながら、そこから生まれていくものをみなさんにお裾分けしていけるようにしていきます。

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最後に、いつも場所をお貸しいただいている妙心寺派・長慶院の小坂さん、山田松香木店さま、共同企画者の昌子さん、参加いただいた皆さん、お寺と文化の歴史に心から感謝いたします。

うつろいの場は、不定期に実施していきます。

なぜうつろいに着目しているのか?

「うつろい」について、以前 Note の記事を書きました。よければご覧ください。「日本文化の核心はうつろいにあり」という内容です。

オンラインのうつろいの場のご案内

2020年12月8日、オンラインのうつろいの場を始めました。「自分自身がどのような変化の只中を生き、何を想い、何を感じているのか」を集った方々と分かち合う定期的な会です。みなさんの創造的な生活のリズムを作ることができるように、継続的に実施します。

では、どこかでお会いしましょう!

頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!