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【日記】秋田9日目Part(4)〜来訪神という私たちが世界の外に出る回路〜

24年3月、秋田にフィールドワークに行きました。滞在は10日ほど。「芸術人類学」の切り口へ理解を深めるリサーチ旅の様子をNoteに投稿しています。

9日目の移動ルート: 小松クラフトスペース(Note投稿)→男鹿半島→なまはげ館(今ここ)

なまはげ館の前半の様子(その1)はこちら。

なまはげ台帳に触れた続きの投稿(その2)はこちら。

今回の投稿は、なまはげ館の出来事をまとめた3つ目の文章です。

なまはげ台帳を見ながら次々に家主を責め立てていくナマハゲさん達。現代の感覚でいうと「ハラスメント」にも当てはまりそうな光景でしたが、現代に作られた概念のフィルターを通してなまはげさんを理解したと思い込むのはさらなる理解を妨げるので、ハラスメントフィルターはリセットしました。

ナマハゲさんは山から降りてきた異形の神さまということで、人間の論理を超えたものなのでしょう。今回の投稿ではナマハゲさん達の最後のパートになります。実演の続きとなまはげ館について書いています。



なまはげさん達は家主に次々とツッコミを入れていきました。なまはげさんに愛があるのかは分かりません。山の神の振る舞いに対して、愛とか慈悲とか、そういう概念を使って見ていいものか、迷います。目の前で起こる「家主やその家族に対する戒め」は流暢になまはげさんの口から飛び出てきます。家主は何度も秋田のお米で作られたお酒を進め、なまはげさんはそれに応えながら、家主を戒め続けました。

ここだけの話、一日に何人もの青年がなまはげさんを務めるのだそうです。なぜかというと、なまはげを務め上げることに力を使うということもあろうが、お酒をおちょこで何度も何度も飲んでいくにつれて、ベロベロになってしまうからだそうです(笑)

お酒を振る舞い続ける光景を見ながら、食を共にするということの重要さについて考えていました。この場面では、人間からなまはげさんへ振る舞い食べ物、お酒を振る舞っていた。人間から神への振る舞いです。感覚的にはお供えをすることに近いのでしょうか。その理由が何であれ、神事や芸能などにまつわることには「食を分かち合う」ということが自然と組み込まれているように思います。私は共に食べることがつながりを生むという視点で物事を考えることが多いのですが、そのような切り口からなまはげ実演を見ると、家主からなまはげさんへの食の分かち合いによって、人間と計り知れない存在である山との間に精神的なつながりが醸成されるのかもしれない。外からやってきたものが歓待されるという現象はなかなかに興味深いです。「歓待」ができるということは豊かなことかもしれませんね。私たちは「外」からやってきた存在を歓待できるでしょうか。

ちなみに、この場面では食べる者は「なまはげさんのみ」で、家主は食べ物には口をつけていませんでした。この点から言っても、神前、仏前に供える食べ物という構造に近いのかもしれません。

さらに脱線し、空間についても触れておこうと思う。

実演が行われた建物自体はL字形平面の家屋の形をしており、「曲(まが)り屋」と呼ばれています。(Wiki: 曲り屋)家主となまはげさんが向かい合って座っていた場所は仏間で、そこの棚には神様と仏様の両方が祀られていました。いわゆる観客(お客さん)は仏間の隣の客間から仏間で起こる実演を見ているという位置関係です。神様と仏様の両方が祀られているということはこの土地の宗教性・地域性を表していると思いました。

この土地には修験道の流れがあります。「円仁(慈覚大師)が湧出山を二分し、北を真山、南を本山と称するようになって以降、修験の信仰が高まり、天台宗僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された」ということになっています。奇岩奇勝の風光明媚な景観をみると、そのような文化が根付いてきた歴史にも納得感があります。江戸時代には10ヶ寺50ヶ坊が営まれたようです。(ここで深堀していくことは割愛)

なんとも言い難い複雑に絡み合った感じが男鹿半島の文化の一側面だと思います。この言葉に当てはまらない文化の”あれやこれや”が展開されているので、深堀したい時には通って、身体的に理解を深めていくのがいいな〜と思いましたね。

なまはげ実演についてはまだまだ言葉にできるのですが、この程度でいったん収めておきます。実演が終わった後には、なまはげ館でなまはげさんに関する展示を拝見しました。



なまはげをアーカイブした人たち

なまはげ館では、なまはげについて多角的に展示しているわけですが、なまはげさん自身だけでなく、なまはげについて叙述してきた人たちの存在も興味深かったです。その筆頭が菅江真澄。およそ200年前の人物です。「まれびと」の概念を提唱した折口信夫も男鹿半島を訪れています。この二人に関しては先行研究等には目を通すことができていないので、ここでは触れません。興味がある方々は調べてみてください。

結構驚いたのが、この多様さ。実際に使われていた(きた)仮面たちが大集合していました。圧巻の数ですね。「なまはげ」という名前で括っていいのか、わかりません。このような近しいような文化様式は秋田という県境をこえて分布しているようです。たとえば、山形の最北端・遊佐では「アマハゲ」と呼ばれる文化があります。そちらもなまはげと同様、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されているようです。似たものとはいえ、地域ごとに異なります。だいぶファンキーなお面もありましたし、カッパみたいなお面もありましたし、いろいろでした。私にはどこからどこまで「同じ」「違う」と言うことができるのかはわかりませんので、いったん「いっぱい居ました」という報告にとどめておきます。お面の種類の一部を見たい方は、こちらのページを覗いたり、調べてみてください。

今後のリサーチの足掛かりになりそうな情報の一つが全国の来訪神行事についてのパネルでした。「来訪神行事とは・・・来訪神行事は、面や被り物、泥などをまとったものが『来訪神』となって、正月などの年の節目となる日に家々を訪ねます。新しい年を迎えるにあたって怠け者を諌めたり、家や人々に幸せや福をもたらしたりする行事です。地域の中で世代から世代へ受け継がれています。」とのことでした。

なまはげ館で撮影

上記の通り、挙げられていたのは、以下の来訪神たちです。

・男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)
・吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)
・遊佐のアマハゲ(山形県遊佐市)
・能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)
・見島のカセドリ(佐賀県佐賀市)
・甑島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)
・悪石島のボゼ(鹿児島県十島村)
・宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)

あくまでユネスコに登録された来訪神たちですが、いろいろあるんですね〜。ユネスコに登録されたということは、基本的に世界遺産に登録してくださいという申請があったのでしょう。その申請が協議されて、決定され、世界遺産になります。それは文化そのものというよりも、政治の事象とも言うことができそうです。世界遺産化することで、観光客が増えたり、認知されることが増えたり、そういう効果があるのでしょうね。その背後で、どのような弊害があるのでしょう。このあたりも興味を持ちました。

ちょっと調べてみると、ナマハゲ、スネカなど、少なからず、これらの来訪神の物語には「五穀豊穣」の願いが込められているみたいですね。今のような近代的な物の輸送ネットワークが整備されていなかった時には、今以上に食べ物の有無というのは人々の切実な問題だったことだろうと思います。豊穣、それは植物の増殖を祈ることであり、多様な文化形態が生じている背景には人々の脳内において神さまや文化の記号が盛んに生じているのではないだろうか。

「私は生きている」という世界から独立した個人観のようなものを追及する人が現代社会には少なからず多くいる印象があるのだけど、このような来訪神や祭祀のあり様を見たり、体験することは、「私」から「私たち」へとアイデンティティを拡張してくれるのではないかと思う。それは個人が強調されるようになった現代からの目線であって、昔はもう少し「私」というよりも「私たち」感が強かったのではないかと思います。ただ、そうであっても来訪神という外に接続する回路が存在していることは重要なことだと思っています。人間が人間の社会内から「外」へ至ろうとする営みなのかもしれないし、逆に「外」から雪崩れ込んできてしまうものに応じた結果生まれた営みなのかもしれません。少なくとも、人間社会の内外という区分けを固定化せず、流動化させてくれるものなのではないかと思いました。

このあたりは一緒に秋田に行ったパートナーの森紗都子さんの考えや彼女が影響を受けた中沢新一さんなどの人類学の知見に影響を受けている気がしますね〜。日々彼女とディスカッションし、世界を感じ、外を感じる回路の構築を好んでやっていますが、やっぱり「内 / 外」という自分の中に生じてしまっている区分け意識から自由になることができる時ばかりではありません。そういう意味でも、「外」の世界を感じさせてくれた「なまはげさん」はとっても面白かったし、わかった気にならないで次の秋田訪問時にも探究する機会が生まれたら意識を向けてみようと思います。

そんな感じで、いったん秋田フィールドリサーチの9日目のなまはげパートは終了します。この後は、一緒にフィールドワークに出かけた友達の家に泊まったり、熊のことを畏れながら、踊りながら神社の参道を歩いたり、精神が開いたりキュッとなったりしながら秋田探索を続けました。続きはまた気が向いた時に書こうと思います。

では!






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