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2024.2.22 黒でもなく白でもなく、グレーが美しい。

 たとえば真っ黒に染まった世の中は、ずる賢い立ち回りのできない人、知能指数は高くても体力に自信のない人には地獄を与えることになる。

 ある程度の自由を犠牲に、小判鮫コミットで子分階級として生き残る方法もあるが、生殺与奪権は常に管理者に委ねることになる。



 真っ白な世界においては大多数の頭の良い人たちが、少数精鋭派の力自慢や半グレ反社勢力を、知能と数の暴力によって淘汰するシステムを作り、ヒエラルキーのピラミッドをそのままひっくり返そうとする。

 そこに当然「慈悲」という非理論的で無価値な感情は存在し得ないので、ピラミッドの最下級に陥ったならず者たちは、ただの"パシリ"や奴隷といった被搾取層に成り下がる初めての経験をする。



 限りなく溶け込み合った中間色に近いグレーな世界では、「選択の自由」に限って保障されやすい傾向にある。それはつまり自己責任論という究極の自己保身にとって都合が良い為に、近代の文明が目指す社会構造にはなんだかんだ言って"曖昧"こそ最適なのである。

 善悪、貧富、男女、上下、老若、これらに表面的な差を持たせない平等主義。ただしその実は公平と限らないし、恵まれさえすれば善性と小賢しさの両立すら可能になる。



 どんな色の世界になっても、その中ではさらに黒い世界、白い世界、グレーな世界のいずれかが生まれ、それは2人単位まで最小化される──

 つまり宇宙は最初から色が混じり合うて、誕生の極めて最初の段階からすでに美しかったのに、光と闇を覚えてしまったが故の鈍麻状態に陥ってることすら忘れた知性を誇ってるうちは、俺の思考には敵わないよ。諦めてる方がいい。


 そう呟きながら、N氏は自撮り写真にそっとモノクロフィルターの処理を掛けた。

ここではお好きに。