見出し画像

2024.4.11 先に小さな秘密を口走れば、奥底の真意は隠せる。

 小さい頃、大抵のことが先にわかってしまう子だった。どうすればこうなる。こう言えば丸めこめる。先に軽い秘密を口走ることで、本当の秘密には辿り着かせない。本当のことがバレてる時、騙されてるふりをしてくれることが理解できてしまう。

 これから何が起きるか、わかってしまう怖さが拭えない。なのでおよそ13、14歳の頃、そういう自分に飽きてしまった。あえて答えを見なくなったような感覚だ。
 それから10年ほどはそれが楽しかった。ただしそれでは敵わない場面が多くなってきた。大変失礼な言い方だが、周りが自分に追いついてきた。生まれた頃からトレーニングと無縁だった自分は、実力で拮抗させるような打破する術がなかった。

 結果、勝てない勝負はしない、という選択をした。おかげで惨めな負けはないが、誇れる勝ちも失った。穏やかで自在だったが、純粋な怠惰とも言えた。しかし今度はそれに飽きた。というよりは恥ずかしくなってしまった。なぜなら凸凹のない、平らなやり取りしか社会との共有部分がなかったから。

 社会人という言葉には意味が存在しないから嫌いだ。ただ単に空虚なものにカテゴライズされる居心地の悪さも感じれば、こっちから望んで社会性と協調しているわけではないのに、まるで押し付けられているかのような不快感を感じるからだ。教育や家庭から曖昧に与えられた感覚をそのまま踏襲して、自分が生きるのに都合のいい文脈で常識を漠然と無根拠に振り撒いているにすぎない。それならいっそ、大きく負けても変わらないのでは。

 それが社会的にもう少し生まれてみようと思ったきっかけ。34歳の春は、少し開花が遅かった。この奥の真実には誰も辿り着けまい。

ここではお好きに。