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ひなまつり 雛人形はご先祖さま #14

 私が初節句を迎える頃、母方の祖父が私たち姉妹のために雛飾りを買ってくれた。なんでも大きなものが好きで、子煩悩で孫をとても可愛がった祖父は、訪れた店で最も大きな七段飾りを買ったのだろう、母は繰り返し、このお雛様はとても大きい、と言っていた。

私の初節句

 昭和50年、高度経済成長期を経て日本は豊かになっていたし、第二次ベビーブームでたくさんの子供が生まれたから、この頃はお雛様が最も売れた時期だったのではないかと思う。

 女の子の健やかな成長を祈るために家に飾るものと思われている雛飾りだが、その意味がそこに収斂していった背景には、戦後の大量消費社会の存在が欠かせない。
 「子どもの成長への祈り」という財布の紐がゆるくなる理由も付与され、消費社会の中で「儲かる」商品として全国に広まった。他の家との比較の中で少しでも見栄えのするものを、という見栄が入り混じるのは、クルマやテレビ、そして仏壇と同じだ。

 雛人形といえば「流し雛」というのもある。流し雛は、自分の穢れをそれに移して、川や海に流してしまうというもの。現代の雛人形は、それが起源だとよく聞く。しかしそれに綺麗な服を着せて、自分の家に飾るというのは、なんとなく気持ち悪くはないだろうか。しかも何年にも渡って。

 実は雛人形にはもう一つの役割がある。祖霊、つまり神を降臨させ、供養する、祀(まつ)るための依代(よりしろ)としての役割だ。祖霊を迎えるため、人形を持って小高い山に上り、そこに依りました祖霊を家に連れ帰ってしばらく一緒に過ごすのだ。内裏雛を一段高い場所に飾ろうとする心理は、そこから来るのかもしれない。

 大きくはこれら二つの意味が合わさったものが雛人形で、それに他の様々な習俗が習合している。

 中国から来た上巳の節句は穢れ払いの祭りだ。長く寒い時期が過ぎた頃、外気浴をすることで穢れを祓(はら)い、自然からもパワーをもらうのである。したがって以前は、この風習が全く人形と結びついていなかった地方もあったそうだ。
 ひなまつりが商業主義に乗る前は、上巳の節句(桃の節句)=ひなまつり というのは、全国的な常識ではなかった。

 そんな歴史を経て、今我が家には雛人形が飾ってある。母が還暦のお祝いに仲良しグループのお友達から頂いたものだ。
 神様、ご先祖様を体現するものだという意識は、私や娘の中でほとんど抜け落ちているけれど、明日ちらし寿司を作ったら、まずこの雛人形にお供えしてみようと思う。

中外陶苑の内裏雛と犬筥 お花は雪柳と菜の花 
菜の花はその油が灯明に使われていたので、お灯明の意味を読み取ることもできる


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