『ソラニン』が刺さる世代に向けた、「消耗」の正体について(1)
満員電車で、人混みで、溢れる仕事で、人は「消耗する」と口にする。今回はこの、「消耗」の正体について考えてみる。
わたしは2017年の春より、22年間生きた熊本を離れ、東京に来た。職場での人間関係、仕事面、衣食住、金銭面、と悩みは尽きないのだが、なにより一番辛いのがこの「消耗という感覚」だと感じる。まずはこの感覚がどのようなものなのか、簡単に言葉にしてみることで、まずは自分自身で問題を認識したい。
「主人公期」について
急に変な言葉を使い始めて申し訳ないが、「主人公期」いう言葉がある(創作)。これは、自らに勢いがある状態だ。能力がなかろうが、周りからは面倒くさがられていようが、やりたいことを無我夢中でやり続けられているとき、それが主人公期となる。決まってそんなときほど、人は集まってくるし、自分では頑張っているという自覚が無かったりするので、後になって気づくことが多い。
「エモさ」について
エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本語の形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「うまく説明できないけど、良い」ときなどに用いられる。ーーwikipediaより引用
消耗は、「エモさ」によって感じ取ることができるものであるように思う。特に「主人公期の自分」のような、振り返ると輝かしかった過去と現在を比較したときに、その当時と現在の自分の差が、消耗で失ったものではないだろうか。そして、それに気づかせてくれるのが「エモーショナルな感覚」だ。
例えば、「就活の時のES(エントリーシート)読むと、胸が締め付けられるような感覚に近い。
そこには、当時の自分が書いたであろう、青き春の戯言が残されており、そしてそれを正面から受け止めることができないキャパシティの狭さは、消耗からなるものであろう。
以上で、「消耗」の正体をなんとなく捉えることができた。次は、その対処法について考える。ただ、対処法を考える前に、「なぜ消耗してしまうのか」といったところから述べる必要があるので、次回はそちらを掘り下げていく。
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