許されない社会 〜魔女狩りとTwitter〜

令和2年3月23日  晴れ

画像1

恐竜の里丹波へ

現代の日本が抱える問題で最もわかりやすくかつ深刻だと言われているのが少子高齢化とそれに伴う人口減少です。今年、日本の女性の約半分が50歳以上となり、子供を作れる世代が圧倒的に少なくなったことによって人口減少は止まらない、むしろ加速度的に進むのは予言ではなく既に事実だと言われています。人口の減少はそのまま国内需要の消滅につながり、海外向けの輸出産業、もしくは海外からのインバウンド需要の受け皿になる企業以外は壊滅的なダメージを受けるのは明らかで、特に地方都市ではその影響が既に顕在化し始めています。
近年、その問題が特に表面化したのが空き家問題で、6年後には全国の住宅の約3分の1が誰も住まない空き家になると言われており、神戸市や周辺の市町村でも既に老朽化した多くの家屋が放置されており地域ごとの喫緊の課題になっています。

私は、神戸を中心に空き家問題を解消し、土地や古民家を利活用することによって地域を活性化する取り組みを進める「空き家対策プロジェクトチームX」なるグループに所属しておりまして、その活動の一環で現在丹波市の山南町にある空き家の解体工事を行っています。この案件は家の所有者が亡くなって、遺産相続人がおらず長年家屋が放置されたいた空き家で、裁判所からの指示で定められた管財人である空き家対策プロジェクトチームの弁護士さんから工事をご依頼いただきました。昨夜、その弁護士さんから連絡があり土地の所有者である地主さんから解体工事についてのクレームがあったとのことで今日は朝から丹波まで謝罪と説明に赴きました。

画像2

風の時代の価値基準

法的な手続き上で言うと、家屋は裁判所から指定された管財人の管理下にあり、その建物を解体するのに地主さんに許可を得る必要はありませんし、長年地域で問題視されていた廃屋がきれいさっぱり片付く事は地主さんを含む近隣の方にも喜んでいただけるはずでした。しかし、田舎の土地には先祖代々からの様々なしがらみがあり、(法的な手続きとは別に)解体する前に真っ先に地主さんに報告に行く必要があったようです。
その地主さんと1時間ほど対面で話し合うことによって、すっかり打ち解けて帰りには採れたてのヤーコンと言う芋のような根菜まで手土産にいただきました。よくよく話を聞いてみると、クレームは解体工事自体の問題ではなく重機を乗り入れるのに私達が土地を借りていた近隣の人と非常に仲が悪く、その人に土地を借りて解体工事をしたことが悔しくて許せない想いだったとのこと、世の中は法律や理屈だけでは成り立っていないことをつくづく知らされました。

今回のトラブルの原因を紐解いてみると、私も弁護士さんも田舎の集落の人間関係の複雑さと、何かことを行う時に欠かせない周到な根回しの大事さをよく認識していなかったことに問題があったと思います。必要か必要でないか、適法か違法かと言う理論上の判断ではなく、人がどう感じるか、どんな印象を受けるかに心を配る必要があったのだと反省しました。昨年末から世界は風の時代に変わり、目に見えるもの、決まり切った規則やルール等の論理ではなく、感情や情報、体験など目に見えないものに価値の重点が移ったと言われます。考えてみれば、森元首相のJOC会長辞任劇なども、法律や理論上だけで考えれば辞任しなければならないほどのことではありませんが、世間一般の感情論がそれを許しませんでした。

画像3

許さない社会

森元首相自身、「女の人が会議に入ると長くなる。」と軽口を叩いただけで、女性蔑視の発言をしたとはよもや思っていなかったでしょうし、だからこそ当初の謝罪会見では「会長職を変えられるものなら変えたらいい」などと強気に逆ギレ発言をしたのだと思います。しかし、匿名で言いたい放題、大衆心理の相乗効果で燃え上がるネット上のバッシングとそれを取り上げてさも国民感情であるかのように騒ぎた立てるTVの情報番組に煽られて、とうとう辞任を余儀なくされてしまいました。私は正直なところ、戦後を生き抜いてきた爺さんの軽口くらい軽く受け流して上げたらいいのに。と思いましたが、公の立場にいる人がそんな事を口にすると、自分にも火の粉が降りかかりあっという間に炎上して抹殺されてしまうのが今の世の中です。

コロナによる緊急事態宣言下で銀座の高級クラブで飲食をして離党や辞職を余儀無くされる議員が続出するのも基本的な構図は同じで、Twitter場で#上級国民と揶揄されて執拗な追求を受けて結果的に排除されてしまいました。少し前までの日本なら、まーまーそれくらいは大目に見たってもいいんじゃないか、という牧歌的な風潮もあったと思います。少なくとも、昭和世代の私はお忍びで贔屓にしているお店に少しくらいお付き合いで行ったくらいでそこまで厳しく追求しなくてもいいのじゃないか、と思ってしまいます。それを許さない感情は、行動そのものではなく、その行動を選択する(脇が甘すぎる)議員の人間性に対してNoを突きつけており、いわば人格否定をするが故に許せなくなるのだと思うのです。

スクリーンショット 2021-02-11 23.25.44

FACTFULNESS

森元首相の女性蔑視問題にしても、次々と表沙汰になるお忍び議員の不祥事にしても、そこまで叩く必要があるか?と懐疑的に感じ、それが世の中の常識になりつつある現状にある意味不思議な感覚に陥っている方もおられると思います。日本国民全員が外出時に必ずマスクをしている光景も少し奇妙ですし、マスク警察と呼ばれる、街中でマスクをしていない人に罵声を浴びせて傷害事件に発展する例が後を立たない今の日本、あまりにも許さなさすぎるのでは無いか、と昭和世代で建設業界という緩めの業界に生きてきた私としては思うのです。こんな事を書くと、意識が低いとバッシングを受けるのでしょうが、風邪と同じ感染症の一種であるコロナが指定感染症と政令で定められた事によって、実態とはかけ離れた予防措置を講じなければならなくなり、局部的な医療崩壊を招き人の命の大事さを盾にメディアが騒ぎすぎた感は否めません。結果論をいくら戦わせても意味はないですが、インフルエンザと同じ扱いではダメだったのか?との検証は行うべきだと思います。

今年はコロナ対策が全国民に普及したのが功を奏してインフルエンザの感染者、死者数が例年に比べて圧倒的に少なくなっていますが、昨年まではインフルエンザで毎年3000人から1万人(持病の悪化も含む)が亡くなっており、通常の肺炎で毎年10万人の命が失われる事を考えれば、第3波が収束しかけている現時点で新型コロナによる死者数が7500人という事実は正面から見つめなおすべきだと思います。飲食、観光関連の事業所に大きなダメージを与え、経済に多くの犠牲と暗い影を落としながら湯水のごとく税金をつぎ込んでいる現状は果たして正しい選択だったのか?を思い込みを捨てて冷静に考えてみるべきだと思います。

画像4

分断とポピュリズムを回避する多様性と許容力

風の時代は(でなくても、本質的に)目に見えないものを重要視すべし、というのはわからないでもありません。人は論理ではなく感情で行動を選択しますし、思いやりとか相手の気持ちを慮るとか、真心を込めるとか、善なる目的意識を持ってるとか、形には見えなくても大事なことは世の中にごまんとありますし、実はそちらに価値の本質があると私は思っています。しかし、政府の舵取りが感情に押し流されてしまうのは少し違うというか、かなりヤバくまずいことだと思っていて、Twitterや不安を煽るのが仕事のメディアに影響されて判断するのはポピュリズム以外の何物でもありません。森元首相の一件では国際オリンピック委員会(IOC)会長が収束宣言を出したにも関わらず、世論という名のメディアに負けてひっくり返りましたし、解除要件を満たしたにも関わらず、慎重論に靡いて緊急事態宣言が解除されないこともしかり。事実を事実として見て、冷静な判断することはいつの時代も変わらず必要なことだと思うのです。

今の世の中の感情に押し流されて政治も経済も文化さえも姿の見えない世論に振り回されている風潮がこのまま進んでいくと、まるで魔女狩りが横行していた16世紀後半から17世紀のヨーロッパの愚行を踏襲するのではないかとの恐ろしい印象さえ受けます。実際、ネット上でいわれのないバッシングを受けて自ら命を絶った悲劇もこれまで繰り返し報道されてきましたが、世の中に対する希望を失いそうになるのもわかる気がします。世知辛いという言葉で済まなくなってきた現代(風の時代)、私達が今一度意識的に取り戻すべきは感情に任せることなく多様性を認め、許容力を高め、許しあいながら四方が良くなる選択を粘り強く模索することではないかと思うのです。
とにかく、特に爺さん婆さんは温かな目で見てあげませんか?(笑)

________________________________

◆四方良しの世界を作る株式会社四方継のHP:https://sihoutugi.com

◆一般社団法人職人起業塾のオフィシャルサイト:https://www.shokunin-kigyoujyuku.com

職人育成、人事制度改革についての相談はこちら→https://www.shokunin-kigyoujyuku.com/application/contact/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?