天上の弦
久しぶりに夜中までがっつりマンガを読んで、泣きました。読まずに死んではならない作品はまだまだこの世にたくさんある様です。
年始の挨拶に父と弟と飲もうと実家を訪問した際に、本棚に大事そうにファイリングされた「天上の弦」のタイトルを見つけて、「これ何?」と訊きました。弟曰く、「このマンガが好き過ぎてコミックから切り取ってファイリングした。」と。そこまで思い入れがあるなら是非読んでみたい!と貸して貰いました。新年早々、良い勘してました。と言うか、さすが同じ系統の顔してるだけあって、心が震える琴線が同じなのを再確認。血の繋がりっていいものです。
母と子の絆の物語
この天上の弦は、東洋のストラディバリとも称される、バイオリン制作者の陳 昌鉉さんの半生を描いた作品で、日本統治下の韓国に生まれ、日中戦争、大東亜戦争、そして朝鮮戦争と戦乱の時代に翻弄されながらも、生きる目的を模索し続け、在日韓国人として厳しい差別を受けながらも独学でバイオリン製作の道を極め、ついには世界的な評価と名声を手に入れた実話を元にした陳 昌鉉さんの自叙伝「海峡を渡ったバイオリン」を山本おさむ氏によって漫画化された物語です。
全編にわたって大きなテーマとして扱われているのが「母の愛」でした。今ではあまり耳にしなくなりましたが、韓国は儒教の国であり、目上の人に対する礼儀作法に厳しいのを私たちは子供の頃からよく目にしてきました。神戸は在日韓国朝鮮人がとても多く住まれており、私たちは身近な隣人としてよく接していました。アボジ、オモニに対しての絶対的な敬愛と家族愛を示す人たちに対して、少し眩しく、羨ましく思っていた記憶があります。陳 昌鉉さんの物語は本来、当たり前すぎる母と子の愛情の絆を中心に描かれており、今の日本人が今一度、見直すべき大切な価値観ではないかと感じた次第です。陳 昌鉉の略歴は以下の通り。
魂のモノづくり
陳 昌鉉さんのことは以前から存じ上げておりましたが、今回改めて世界一の称号を受けたとされるバイオリン製作者の人生を辿って、驚かされたのは、誰に弟子入りすることなく独学で技術を磨かれたとの事実です。私も一応、大工の端くれ、モノづくりの世界の住人として考えた時、弦楽器のような楽器としての精密さと工芸品としての美しさを兼ね備えなければならないモノを作り出す難易度はの高さは深く理解できます。宮大工が鑿や鉋などの道具を手作りで作るところから建物を作るのと同じように、曲線だらけの木工品の製作は刃物を作るところからの幅広い知識と修錬を積み上げ、洗練されたた技術が必要です。戦後の日本で在日韓国人として厳しい差別を受け続けて、誰にも弟子入り出来なかったのを乗り越えて独自に技術を身につけ、ストラディバリに迫る作品を世に送るようになったとのエピソードは、想像を絶する凄さでした。まさに執念で奇跡を起こした人だと感じました。同時に、それくらいのハンデキャップを乗り越えるほどの情熱がないと、圧倒的な西洋優位の業界にあって、並み居る由緒正しい工房や製作者を尻目に栄冠を手にすることは出来なかったのかもしれないと思いました。モノづくりはやっぱり魂を捧げる仕事なのだというのが私が感じた2つ目のテーマです。
第三のテーマは世界平和
私がこの世に生を受けたのが1967年、その5年前に陳 昌鉉さんは木曽福島にてバイオリン製作に打ち込み初めます。そして、私が4歳の1961年に東京にて本格的にバイオリン制作者として歩み始めています。戦後の動乱期を生き抜き、差別を乗り越えて彼が世界に名を轟かす人物になるストーリーは決して遠い昔の話ではありません。リアルに私が生きてきた時代の出来事です。
この物語が示唆するもう一つのテーマはなんと言っても戦争の凄惨さと、無意味さです。
今も、北朝鮮が韓国に対して軍事行動を辞さないとの挑発的な態度をエスカレートさせています。アメリカとソ連の代理戦争だった朝鮮戦争は同じ民族、同じ家族同士での殺し合いを強要しました。家族の絆を何よりも大切にする人たちにとって、それがどれ程の苦しみになるのか。この物語は戦争は絶対に、二度と繰り返してはならないのを、概念ではなく一人のひとの人生、その感情や慟哭を通して示しています。
きな臭くなってきている朝鮮半島だけではなく、現在、世界中が戦争、紛争、戦乱に巻き込まれている事実を直視しつつ、多くの人がこの物語に今一度触れて頂きたいと思った次第です。本当に素晴らしい作品でした。強くオススメします。
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世界平和の実現のために、理にかなった、人の道に沿った思考を広げる教育事業に取り組んでいます。
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