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オレの怒りを鎮める方法

実は、私、怒ってます。しかもかなり、20年以上も。
この20年、私が必死にやってきたのは怒りを鎮める活動です。で、それが仕事になりました。今では、仕事を通り越して人生そのものが怒りに向き合い、それを鎮めるために生きていると言っても過言ではありません。
でも、ライフワークに打ち込める環境は本当にありがたく、とても充実した毎日を送らせてもらっていることには心から感謝しています。

世の中と自分への怒り

私がずっと以前から憤りを感じているのは、この世の中に対してです、まだ子供だった頃から。そしてその具体的な矛先は生業として入り込んだ建築の世界、建築の業界に向きました。
大工として起業したのは務めていた工務店が神戸の震災後の特需が終わったタイミングでの消費税増税の煽りを受けて倒産したのがきっかけでした。なんでこのタイミングで、景気を冷え込ませる意味のない増税をするのかと、随分と憤りを感じました。
全く仕事のない神戸を離れて、弟子と二人で一年以上、大阪、京都、奈良と遠方の現場をツテを頼りに渡り歩いて飯を食い繋ぎました。漸く神戸に戻って来て下請け大工として仕事にありつきましたが、すぐに暇になり、平日の昼間から家でゴロゴロしてると人間のクズになった気分が味わえます。自分の力のなさ、甲斐性のなさに我ながら絶望的に落ち込みました。不甲斐ない自分自身に対しても怒りを覚えました。

虐げられた職人の怒り

そんな時、歳の離れた従兄弟から、「高校を卒業して大工になりたいから弟子にして欲しい」との申し出がありました。私は、「こんな不安定で先の見えない仕事なんかやめとけ、もっと固い仕事に就いた方がええで、」と即答で断りました。
にべもなく断りながらこの日本には職人は居なくなるんだとリアルに肌身で感じたのです。しかし、神戸の震災の後の街を立て直したのは全国から集まってきた職人達です。私自身も震災が起こってから長らく休みもなく働き通しでしたし、昼も夜も現場で働いて過労死した仲間も実際にいました。職人がいないと世の中のインフラは機能しないし、それは国全体の安全保障に関わる重大なリスクです。要は、職人の地位はもっと高くなるべきだと怒りを覚えたのです。

いつ干されるかの恐怖と怒り

怒りを鎮めるには、その原因を叩き潰すしかありません。大工としての個人事業主から、法人に立ち上げる際に私が掲げたのは「職人の社会的地位を向上させる」との業界を変えて社会との関わりを変容させる大きな志でした。
とはいえ、実際はまずは自分たちが安心して暮らせる程度の地位向上が目下の目標でしたが。。
それから必死で働いて、とにかく平日の昼間から仕事にあぶれて酒に溺れるようなことは絶対に無いようにしようと、とにかく仕事を詰め込みました。依頼された仕事はとにかく全部やる。何がなんでもこなすのが信条で、休みどころか昼も夜もなく現場を詰め込みまくりました。いつ暇になるか分からない恐怖にかられ、小さな工事の依頼は新築現場で作業が出来ない日曜日から仕事を埋めるようにしたのです。

無知で無力な自分への怒り

その成果?もあって、漸く年間通して忙しく現場が埋まり始めた頃、創業前からずっと弟子として私について来てくれてた社員が辞めると言い出したのです。遠方の現場のどさ回りをして、神戸に帰って来てからも仕事を切らせて、ロクに給与が払えない時も離れなかった彼に私は「やっと仕事が埋まるようになったのになんでや?」と聞きました。
その答えは「もう銭金では無いんです。このままやったら家がめちゃくちゃになります。」とのことで、忙しすぎて家庭サービスどころでは無い上に、休みたいとは言えないブラック過ぎる会社(ともいえない)にこれ以上ついて行くことはできないとのことでした。社員のために必死に仕事を探し、家族を養うために休みなく働く私は完全に目的を見失った本末転倒野郎だと思い知らされました。この時も自分の考えの浅はかさに対して悲しいくらいの怒りを感じるしかありませんでした。

職人に誇りと希望を与えたい

そのことがキッカケで、私は金だけでは無い本当の職人の地位向上について考えるようになりました。安定した、適正価格での受注と無理のない施工計画、スタッフたちのワークライフバランスを保てる体制づくりと一筋縄では行かない難し過ぎる課題に取り組んで、他の職種と比しても遜色のない職場環境、未来への希望と誇りを持てる職人の働き方を模索しました。
職人の正規雇用と技術の先の職人が付加価値を生み出せるようになるキャリアパス、やりたい仕事ができるように権限委譲を進め、自分で決めた、自分が段取りする、自分が納得できる仕事をしてもらえる環境づくりに注力して来ました。まだ完成に至ったとは口が裂けても言えませんが、5年以上前から現場実務は殆ど社員に任せていることを考えれば、それなりに体制は整って来ている様に思います。ま、問題は色々あるんですが。。

大工達と掲げた志

しかし、熱心に自社の受注や仕組みづくりに没頭している中で、自分だけが良ければいいのか?自社の職人の地位向上が叶えれられたらそれでいいのか?との問いがむくむくと湧き上がって来ました。いや、そんなことではオレの怒りは収まらないと思いました。
そして15年くらい前に大工メンバーを集めて私が話したのは「オレ達が大工集団のような職人会社のビジネスモデルを構築して、その実践を持って仕組みを全国に普及させる。全国の職人の働き方や価値創造を変えるつもりでやってくれ」との言葉でした。大工スタッフたちは現場の責任を負い、顧客の窓口になり、現場全体の仕切り、施工管理をするようになり、OB顧客のアフターサービスに回って顧客からの信頼を得るようになり、その結果、宣伝広告を打たなくても年間通して仕事のオファーをもらえる状態が整い始めました。

職人自助論と実践教育

そんな実践を全国の職人育成に展開してもらいたいとのオファーを貰い、社内で行ってきた現場改革、職人改革を外部に公開したのが職人起業塾です。そこでは、職人は言われたこと、決められた図面通りに工事を行う作業員では無い、自分の頭で考え、現場にしか無い知見を蓄積し生かすことで圧倒的な価値を生み出すと伝えています。当たり前といえばそれまでですが、付加価値を生み出す職人になれば、当然、職人の地位も向上するとの職人自助論です。この考え方と実践に導く教育が全国の職人、職人を雇用する会社に広まれば職人の社会的地位の向上は叶うのではないか、と思うようになりました。現在、私が熱心に活動の場を全国に広げている職人育成の高校、マイスター高等学院のプロジェクトはその延長線上です。

怒りの矛を収めたい

もし、マイスター高等学院が普及して日本全国の各都道府県に職人育成の高校が設立され、そこから輩出される職人は全員、未来創造起業の認定を受けた、いい会社に就職が出来て、フラットで多様性が認められる環境の中で、言いたいことが言えて、やりたいことが出来るようになれば、私が起業の前後に味わった蹉跌や憤り、怒りは収まりが着くのではないかと考えています。
私が怒りを持続させて怒りの根源を叩き潰す活動を執念深く続けるのは、私と同じキツイ想いをする人が少しでも減ってくれたらと思い続けているだけです。
怒りが原動力なんて、今時の流行りじゃないし、泥臭いにも程があるし、そもそもそんなマイナスのエネルギーで人を幸せに出来るのか?との声が聞こえてきそうですが、もう手遅れです。20年以上続けてしまっていますから。
でも、職人の地位向上はなんとしてでも、土台くらいは作ってから引退したいと思っています。あと10年、でいけるかな。。

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職人育成の必要性を感じている方、同じ志を持っておられる方、怒っているかた、繋がってください!

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