見出し画像

生まれ変わったら男女どっちにナリタイ?

「異性」という言葉を聞かなくなってしばらくする気がする。
異性というのは、単に異なる性別という意味ではなくて「恋愛的に好意を持っている相手」という意味を直接伝えるために使われてきた。つまり、異性という単語が会話に飛び込んできたときは「だれか好きな人いないの?」「好きなタイプは?」という恋バナの合図だ。
用例として「異性としてなにか思うところもあるんじゃん」や「とは言っても、やっぱり異性じゃん」「好きな異性のタイプは?」「異性として意識してるの?」「異性への関心を失った男性」「異性間の友情は成立するか」などがある。よくよく考えると日本語の使い方に違和感があるが、奥ゆかしさを大切にする日本人にとって遠回しに恋愛を感じさせられるドキドキワードとしての「異性」は都合がよかったのだろう。特にこの手の話題をしたがる人たちにとっての「異性」なんて、「水着だらけの〜」「ドキドキ♡」「ポロリもあるよ!?」みたいな下品な盛り上げワードと何も変わらないような気もしていた。テンションの高いテレビに感じるどうしようもなく嫌なかんじと逃げ場のなさを私は感じていた。

とはいえ、異性愛者の恋愛コンプレックスと恋愛への思い入れの原因のほとんどが「異性であること」に集約されていることも、今となれば私は分析ができる。それがいかに日本人的な幼少期から分けられた男女観であっても、人生に「異性」という存在があって、「異性」に認められることが比類ない喜びであって、「オトコとオンナは本来分かり合えない生き物」であって、そこから生まれるコンテンツも人間関係もまとめて受けられるような人生をすごく羨ましいと思う。
言わば、彼らは「異性フェチ」なのだ。かつて日本に「異性」という性癖があったんだなと、昔のロックバンドの曲などを聴きながら思う日もきっと訪れるのだろう。

「生まれ変わったら男女どちらになりたいか?」よく言われる会話の一つではあるのだが、これも「異性」という概念を前提として理解してないと考えるのが難しい。この話題は、異性という色眼鏡をたくさん持った者同士で話すから盛り上がるのだ。

私の答えは「メイクをして中の上ぐらいのルックスになれて生理が重たくないなら女性になりたい」——こういうマジな回答は求められていない。
そもそも生まれる国や時代によって違うだろう。

少なくとも私はシスでヘテロであったならば美術に助けなんて求めていなかった。だから、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?