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『トラペジウム』の酷評に対して

 いつもとは趣旨を変えて酷評に対する反対意見を書いてみようと思う。

ネタバレなし

 ネット上で良くない意見が蔓延っているが、良い映画体験を1人でも多くの人にさせたいので軽く所感を記す。できるだけネタバレはしないように努力する。ちなみに私は本作に対して、手放しで絶賛とまでは行かないが、おもしろかったと素直に言える。
 まず、本作の主人公、東ゆう は間違いなくクズである。彼女は夢に取り憑かれているがために、周りの全てを踏み台にしてアイドルを目指している。アイドルグループ結成のために東西南北から1人ずつメンバーを集めて友達になるが、4人の関係性を純粋な友達だと思っているのは西南北の3人のみである。東ゆうは「友達」を道具としか思っていない。
 酷評の多くは、アイドルを目指す物語で、もっと言えば夢に情熱を捧げる作品で、このようなクズを主人公にするのは生理的に無理だということだが、問題はそこにある。本作はそもそも「夢を追いかける」ことに軸を置いていない。これは「東ゆう」という人間の心的成長の物語で、「アイドル」はその舞台装置でしかない。“自分の卑劣さと傲慢さと愚かさが招いた崩壊によってやっと自分の過ちに気づき、思い改めついには本物の友情を手に入れる”というのが本作の一番のミソであるはずなのに、それを読み取れていない人が多すぎる。
 つまり、「主人公のクズさ」は本作を駄作たらしめる要因にはならない。それはあくまで作品の性質上の前提条件であり、「設定」でしかない。従って、本作の前半部分だけを切り取って辛口を言うのは、主人公が自分の性にあわないことに由来するただの八つ当たりであり、正しい評価とは言えない。
 だから、これから本作を観に行く人に私が最も伝えたいことは、「作品の本筋を見誤るな」 ということである。それをふまえた上で映画館に足を運んでほしい。少なくとも「まったくおもしろくなかった」という感想にはならない、と思いたい。

ネタバレあり

 酷評の中で私が唯一腑に落ちたのが“酷い扱いされた挙句「友達」の一言で全て丸く収まってしまった結末に対して嫌悪感を抱く”というものだ。特に大河くるみに関しては、華鳥蘭子のようにアイドル活動がプラスに働いたわけでもなく、亀井美嘉のように東ゆうに対して極端に崇拝しているわけでもない。そんな中で、東ゆうに振り回されて人生を狂わされかけたのに、軽々と許してしまったのはどうしても共感できない。そのような感想を抱くのは至極当然のように思う。
 けれど、「初めての女の子の友達」である東ゆうはくるみの中でどれほど大きな存在であるのかはくるみにしか分からないし、最終的に許してしまった以上少なくともアイドル活動による負の影響を払拭できるだけの正の力をもっていると考えられる。「共感できない」というのはすごく個人的な話であり、「だからキャラクターがこの行動をとるのはおかしい!」と決めつけるのはやはり良くない。私自身、「なるほど、これほどにひどいことをされてもなお友達を許せてしまうくるみは、優しい子なんだね」というスタンスで鑑賞していたので、それほど違和感を感じることはなかった。それに、せっかくできた友達を手放してしまうのは惜しい。許して、考え方を変えさせることができれば、それに越したことはない。それこそ本作のテーマである心的成長に繋がってくる。
 もちろん、私と同じ解釈を持つよう強要するつもりはない。しかし、解釈ひとつで作品に対する見方は大きく変わってくるので、私ならばポジティブな方を選ぶ。

 正直なところ、本作に対して賛否両論あるのは自然なことである。原作の著者がアイドルで小説を書くのは不慣れである以上、どうしても設定が甘い部分があるので仕方ない。それでも、本作には賞賛されるべき特長は多々あるので、そういうプラスな所に是非目を凝らして楽しんでいただきたい。「おもしろくない」よりは「おもしろかった」という感想を抱きながら劇場から出てきた方がよっぽどお得であるから。

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