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『Olivier』  〜1993年 フランス人の男〜 vol.11

重慶大厦チョンキンマンション」とドライバーが言った。
巨大なビルの前でタクシーは止まった。
男がドアに近づいてきて「Happy Dragon?」と微笑んだ。
安宿なのに出迎えがあるなんて! と少し心が弾んだ。

男についてビルに入り階段で6階に上がった。
部屋に入る直前に「友達が先についているはずだけど」と話すと、男は眉をしかめて首を振り「Go!」と低い声で言った。

「What?(えっ?)」
「Go!(出ていけ)」

そこは『Happy Dragon』ではなかった。
僕はその男に騙されていた。

巨大なビル内を『Happy  Dragon』を探して歩き回った。
人に尋ねても首を傾げられるばかりだった。
ふと「ここは重慶大厦チョンキンマンションだよね?」と尋ねると、無言のまま首を振られた。

僕はタクシードライバーにも騙されていた。
男とドライバーはグルだった。

外に出た。
苦しいくらい、暑かった。
すでに吸収力の限界を見るほどにTシャツは汗でビショビショだった。
早くシャワーを浴びたかった。
道ゆく人に「重慶大厦チョンキンマンションはどこ?」と尋ねると隣のビルを指差した。

ビルに入るとすぐ、女が「Happy Dragon?」と尋ねてきた。
「そうだけど、友達がすでに到着しているよ」と伝えると、女はどこかへ行ってしまった。

もう、誰も信じない。

そう心に決めて僕はひとり『Happy Dragon』を探した。

『Happy Dragon』の女主人は優しい人だった。
「先にフランス人が到着するって聞いていたけど、まだなのよ」と、心配していた。

部屋に入ってすぐに航空会社に連絡した。
Olivierは確かに搭乗し、飛行機は予定通りに香港に到着したという。
心配で、シャワーを浴びる気にもなれずあれこれを考えを巡らせた。
その時、ふと、電話が鳴った。

僕はOlivierの友達なんだ。
Olivierに頼まれて君を迎えにきたよ。
さあ、今すぐ1階にきておくれ!

僕は慌てて1階に降りた。

「What's happened?(何が起こったの?)」
「I'll explain later(あとで説明するから)」

そう言って男は僕を隣のビル(僕がさっきまで彷徨っていた)に案内した。

僕は、ピンときた。

「You're cheating my friend(僕の友達を騙しているんでしょう?)」

男は「No No No」ととぼけて笑った。

部屋に入るとOlivierは、シャワー直後でさっぱりした顔をしていた。

「This is not Happy Dragon(ここはハッピードラゴンじゃないよ)」
「What?(どういうこと?)」
「You are cheated. How did you know this is Happy Dragon? You just followed this guy saying Happy Dragon, right?(騙されているんだよ。ここがハッピードラゴンかどうか確認した?この男にハッピードラゴンって言割れてついてきただけでしょう?)」

僕はものすごくイラっとしていた。
騙されているくせに、僕より先にシャワーを浴びるなんて。

「Oh!… but I already paid…(いや、でも、もう払っちゃったよ…)」

Olivierは怯えたように言った。

僕は男に返金を求めた。

「Give us our money back(お金を返して)」
「No, I can't(無理だよ)」
「Or I call police(警察を呼ぶよ)」
「It doesn't work here(そんなのここじゃあ意味ないよ)」
「OK, Let's see what will happen(オッケー、どうなるか呼んでみようよ)」
「OK, Just hold on(わかったよ、ちょっと待ってよ)」

男は部屋を出て行った。
そしてジャケットの内ポケットに右手を突っ込みながら戻ってきた。

武器を持っています、という合図だった。

カチン、ときた。
というか、完全にキレた。

この香港で暮らしたいと思って楽しみにやってきたのに、どうしてこんなふうに騙すのか。すごく暑くて、汗ビショビショで、だけど君のせいでシャワーも浴びれずにいたんだよ。なのに、お金を返せないなんて、そんな人間が営んでいる宿に泊まる人間がいるわけないでしょ?バカなの?君は君の好きなようにすればいい。だけど僕は君が何をしようと警察を呼んで大使館にも連絡して絶対に!絶対に!絶対に!金を返してもらいます!

…みたいなことをマシンガンのように叫んだ。
時制も文法もめちゃくちゃだった。
自分でも何を話しているにかよくわからなかった。
内ポケットにあるのがナイフならどうにかなるけど、銃だったらヤバい。
そうは思ったけど、でも、絶対に怯みたくなかった。

「You speak good English(英語、上手だね)」

だけど、男は力が抜けたように笑った。
内ポケットからあっさり空っぽの手を出して振った。

「I charge you shower fee and give you back the rest(シャワー代はもらうけど、あとは返金するよ)

それから毎日、その男と顔を合わせた。
毎日、僕たちみたいな獲物を探しているようだった。
目が合えば「Hi」と言われるから「Hi」と返した。
それから少しずつ会話もするようになった。

悪いことをした、なんてこれっぽちも思っていないようだった。

僕も、あれは騙すとか騙されるとかではなく、ちょっとアグレッシブな営業活動だったんだな、と思うようになった。

そういう場所で、僕とolivierは生きていこうとしているんだな、と思った。


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