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自宅に寿司桶があると無敵になれる

昨今の情勢から自宅で食事をとる方も増えたのではないだろうか。そして食事の用意には料理だけでなくその皿、いわゆる器(うつわ)という要素も含まれる。

単に器の機能としては食卓を汚さず清潔に取り分けできれば十分といったところだが、目で楽しませる、器も食事の一部といった部分を見逃してはいけない。食器を含めた彩りがより食事を美味しく楽しませてくれるというものだ。

器はその大小や形が異なる他、料理を映えさせるよう色味も考慮されるなどバリエーションは様々。料理の種類や個人の好みもあり選択肢は無限大だ。


私は寿司が好きだ。そして寿司は多くの日本人にとっての好物でもある。テイクアウトもよく利用される寿司だが、自宅で楽しむ際にはどのような皿が適切だろうか。

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すぐに答えが出た、寿司桶である。

もちろん飾り気のない普通の平皿でも用途としては成立するのだが、寿司桶に入った寿司の方がよりおいしそうに見えるのではないだろうか。

昨今のテイクアウト寿司はプラスチックパックに入れられる事も多いが、もしこれが重厚かつ雅やかな寿司桶に入っていたらと想像して欲しい。白く輝くシャリが黒地に映え、ネタの色味もくっきりとあざやか、積み重ねも可能でありこぼれ落ちる心配が少ないと機能性も最高。どうだろう、同じ寿司でも器によっては値段が3割増しでも納得できる気がしてこないだろうか。寿司という食事を一層盛り上げる舞台装置が寿司桶なのだ。


寿司を愛する者の一人として、思いたったが吉日とAmazonの奥地を探索した。さすがは通信販売最大手、すぐにいくつかの寿司桶を発見することができた。

しかしここで私は考えた、寿司桶というものをはじめて家庭に迎えようという人間がこんな調子で良いのだろうか。なにもネットで手軽に入手することを悪だと言うつもりはない。だが寿司桶の良し悪しもわからず、よく吟味せずに入手したものが本当に生活に潤いを与えてくれるのだろうか。漫画『将太の寿司』でもワサビの扱いを知らずにいた将太がワサビ農家に怒られてこの世の終わりみたいにしょんぼりしていたではないか。私の心の中のワサビ農家がシロウトに桶など100年早いと叫んでいる気がする。

そもそも世のお寿司屋さんはどこで寿司桶を調達しているのだろう。昔はAmazonなんて無いし、桶職人が認めた寿司屋にしか卸さない完全受注生産というわけでもあるまい。業務用の仕入れルートはあるはずだ。

──そうかあそこだ、業務用品を仕入れに行くホットスポットがあるではないか。

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気が付いたら私は合羽橋道具街にいた。ここは飲食業界に関わる機材全般の業務用品店が集う街であり、割り箸から業務用大型冷蔵庫まで何でも揃うという職人達のエデンである。私は職人でないにも関わらずこの街に足を踏み入れるという禁忌を犯しながら寿司桶を探した。(※一般人でも普通に買い物できます)

どこだ、我が食卓に潤いを与えてくれる寿司桶は一体どこにあるんだ。Amazon帰りの私は草の根をかき分けてでもという意気込みだったが、寿司桶はわりとすぐに見つかった。というか道具街の公式ページでカテゴリ検索できたうえにお店の位置まで案内してくれるので便利このうえない。調子に乗って今は必要ない業務用かき氷機とかまで検索してしばらく眺めてしまった。

いくつかある寿司桶取扱店を訪れ吟味を重ねる。さすがは道具街である、サイズはもちろんのこと、模様が異なるものや丸みのあるタイプなど様々であり、世の中にはこんなにたくさんの寿司桶が流通していたのかと実感させられる。


私は2,000円の中くらいの寿司桶を手に取り、店のスタッフに購入の意思を伝えた。

「あんちゃん、コイツを包んでくれねぇかい」

私なりに職人っぽさを出してやろうと考えた喋り方だ。ここまで来てナメられるわけにはいかない、シロウトに桶など100年早いと言われてしまうことは避けたいのだ。

「アッハイ、おいくつ包みましょうか?」

100年早いとは言われなかったが数量の確認をされた。そうだ、考えてみれば店をかまえるような職人が器を調達するのにひとつということがあるだろうか。10、場合によっては100単位での購入もあるだろうし、この店も場所柄そういう対応が日常であろう。

どうする、ここは見栄を張って100個包んでくれくらい言うべきか。いや、それはあまりにも多すぎるし絶対要らない。一人暮らしの木造アパートが寿司桶で埋め尽くされミイラ取りがミイラに、桶探しが桶業者になってしまう。いけない、私が望むのは寿司桶業ではなく潤いのあるスシライフだ。

「ひ、ひとつで」

奥歯をギユッと噛みしめながら伝えた。私はシロウトだった。ひとつですかと再確認される辱めを受けたものの、店員さんはシロウトが露呈した私にも親切に対応してくれた。過程はどうであれ私は念願の寿司桶を手に入れたのだ。

試作寿司

さっそく寿司を握って投入してみた。水を得た魚とはよく言ったもので、こちらは桶を得た寿司だ。黒塗りの桶に鎮座する寿司の列に頼もしさすらおぼえる。心なしか米粒ひとつひとつが活き活きとしているように感じる。近所のスーパーで半額だった切り身をシロウトが握った寿司には見えない。入れ物を変えるだけで価値が変わるなどこれはもはや現代の錬金術だ。


この日を境に私の生活は変わった。外出、外食も憚られる昨今であるため必然的に自炊が多くなるが、毎週自分で寿司を握って寿司桶に投入しまくった。桶に入った寿司が自宅にあると考えるだけで毎日が楽しくなる。何か嫌なことがあった日もラグジュアリー極まりない寿司に囲まれることで簡単に乗り越えられるようになった。自分のさじ加減ひとつで生活を彩ってくれる食器。毎日が美味しさとインスタ映えの日々、無敵だ。

別に特別上等な寿司でなくてもいい、スーパーでパックの寿司を買ってきて入れ替えるだけでもいい、適切な器を用いるだけで食生活の満足度はこんなにも変わってくると実感できる。


寿司桶は良い。インスタをやっていない私でも自然と毎日インスタ映えしてますと言ってしまうくらい意識が変わる。寿司が嫌いでなければ騙されたと思って是非ご家庭でも試してほしい。気が付いたら寿司屋でもないのに週5で寿司を握っていた私からのメッセージである。

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