見出し画像

『未来の回想』訳者あとがき

 2021年9月に、旧ユーゴ出身の作家アレクサンダル・ヘモンのエッセイ集『私の人生の本』日本語版を、秋草俊一郎さんの翻訳で刊行いたしました(「訳者あとがき」をこのnoteで公開しています)。
 秋草さんには、2013年にシギズムンド・クルジジャノフスキイという作家の『未来の回想』を訳していただきました。今から90年以上前に書かれたタイムトラベルSFです。今回はその「訳者あとがき」を公開いたします。

-----

『未来の回想』訳者あとがき  秋草俊一郎


 ここに訳出したのは、シギズムンド・クルジジャノフスキイ(Сигизмунд Кржижановский)作『未来の回想』(Воспоминания о будущем)の全文である。
 『クルジジャノフスキイ作品集 瞳孔の中』が昨夏に刊行されて以来、短編集『神童のための童話集』(東海晃久訳、河出書房新社)が今年五月に出版され、そして本書『未来の回想』、さらに長編『文字殺しクラブ』の翻訳も松籟社から上田洋子訳で刊行予定になっている。日本ではこの短期間のあいだに、つぎつぎと出版紹介がすすんだ感があるが、まだ日本の読者にとってなじみの薄い作家であることにはちがいない。
 シギズムンド・クルジジャノフスキイについては、すでに専門的研究者である上田洋子氏による充実した解説「脳内実験から小説へ─シギズムンド・クルジジャノフスキイの作品と生涯」(『クルジジャノフスキイ作品集 瞳孔の中』所収)が書かれている。詳細はそちらにゆずることにして、ここではクルジジャノフスキイ未読の読者のために、その来歴を手短に説明することにしたい。

作家の人生

 シギズムンド・クルジジャノフスキイは一八八七年、当時ロシア帝国の一都市だったキエフのポーランド貴族の家庭に生まれた。キエフ大学法学部を卒業後、弁護士助手として働くが、一九一七年の革命によって帝政ロシアの法律が無効になると、それにともない失職した。この伝記上のいちエピソードは、創作活動に傾注する分岐点になったという以上に、この作家の作風に不条理さの影を落としたと考えたくなるのは避けられないところだろう。
 一九二二年のモスクワ移住をはさみ、精力的に執筆を続けるが、その作品が書物のかたちをとることはなかった。クルジジャノフスキイの実験的な作品群は、ソ連政府の指導のもと、社会主義リアリズムを推進しようとする出版界ではうけいれられなかったのだ。できたことと言えば、本のかたちとして残らないような仕事─演劇や映画の脚本を執筆し、朗読会を開いて作品を限られた聴衆に読み聞かせることだった。もっとも、そうした活動は作品に別の強度を与えたとも言える。
 一九三九年に作家同盟に加えられたが、その後も不遇なままだった。この時期、作品集の刊行がきまり、校正刷りまで出たが、第二次世界大戦が勃発すると、それもふいになってしまう。一九四〇年代には創作活動は衰え、ルポルタージュや評論、翻訳をして過ごすようになる。一九五〇年の末にモスクワで亡くなったが、現在まで墓地の場所もわからない状況が続いている。


画像1

シギズムンド・クルジジャノフスキイ
(Сигизмунд Кржижановский, 1887-1950)


作品の来歴

 先ほどあげた作品集の解説のなかで、上田洋子氏はクルジジャノフスキイのビブリオグラフィを初期(一九一八―一九二二)、中期(一九二二―一九三四)、後期(一九三四―晩年)の三つの時期に区切っているが、『未来の回想』は一九二九年の中期、その創作がもっとも充実していた時期に書かれたようだ。しかし、この作品は、書籍化どころか、雑誌にさえ発表されることはなかった。クルジジャノフスキイは作品をたとえ出版できなくとも、朗読会などで披露することもあったが、『未来の回想』はそういった機会もあたえられなかったようである。
 結局、この作品はじつに六〇年間ものあいだ日の目を見ることがなかった。ロシア語には「引き出しのなかへ書く」という慣用句があり、当局の検閲を通らないことを知りつつ、ひそかに作品を書きためることを意味しているが、本作は文字通り長い間、「引き出しのなか」に突っ込まれたままになっていた作品である。それは、作中でシュテレルのタイム・マシンが引き出しのなかに突っ込まれることを余儀なくされたという事実を思い起こさせる。

作品について

 クルジジャノフスキイの作品は、哲学的思考実験のような内容のものも多く、奇想という言葉を連想させるが、この『未来の回想』も例外ではない。本書では「時間旅行」、「タイム・マシン」というSFの王道とも言うべきテーマを素材にして、様々な仮構の時間理論が語られる。そのそれぞれは一見奇妙に映るが、じつはギリシア哲学における概念から、相対性理論を前提としたリーマン・ミンコフスキイ平面のような当時最先端の理論まで、時間についての議論を縦横無尽に援用したものだ。その点では単なる「とっぴな思いつき」ではないのである。
 ここで、作中でも言及されているH・G・ウェルズの『タイム・マシン』(一八九五年)との関係について少し触れておこう。シュテレルが少年時代にウェルズの『タイム・マシン』を読み、敵愾心を燃やすエピソードからもわかるように、クルジジャノフスキイがこのあまりに有名な先行作品をインスピレーションのひとつの水源にしたことは間違いない。(お互いにほとんど具体的に描写されることはないが)時間旅行装置の簡潔さ、過去ではなく未来への時間旅行を試みる点や、時間旅行者があとから聴衆に向かって体験を述懐する点は似通っている。もちろん、共通点以上に相違点も目に付くわけだが。
 ひとつ興味深いのは、ウェルズの『タイム・マシン』が一種のディストピア小説としても読めるということだ。ウェルズは遥かな未来に、エロイと呼ばれる知性が退化した支配階級と、モーロックと呼ばれる被支配階級(ただしエロイを捕食する)の二つの種族に進化した未来人像を思い描いたが、それは、社会主義に傾倒していた作家が、一九世紀の末に幻視しようとした資本主義の末路だった。
 それに対して、ウェルズが待ち望んでいたはずの「未来」、二〇世紀のソヴィエトに生活していたクルジジャノフスキイは、とりたてて自分専用の「ユートピア」も「ディストピア」も創造する必要がなかった。けばけばしく飾りたてた未来などなくとも、共産党独裁のもとに実現された労働者の非人間的な酷使や住宅難、急速に進んだ工業化による公害や環境汚染、私有財産の没収などの数々の不条理を描けば、それがそのまま「ディストピア」になったのだった。こうした社会風刺は、ほかのクルジジャノフスキイの作品同様、本作でも一種のスパイスになっている。
 他方この作品は、ほかのクルジジャノフスキイ作品に比べても物語性が豊かであり、作家の作品をはじめて読む読者にもとっつきやすいものになっていると言える。実際、後述するように、露英双方で再評価のきっかけとなった作品集の表題作として『未来の回想』は選ばれているが、それも偶然ではないだろう。
 時間にとり憑かれた男、マクシミリアン・シュテレルは自分の生涯を「時間切断機」ことタイム・マシンの制作にささげる。しかし、その作業は困難を極める─折しも時は激動の二〇世紀、戦争や革命がシュテレルと彼の「マシン」に襲いかかるのだ。さまざまな障害を乗りこえ、シュテレルはマシンを完成させ、未来へと脱出することができるのか─それが小説の強力なエンジンとなって読者を物語のなかへ引き込んでいく。
 ここで急いで断わっておくと、このように「物語性が豊か」だとしても、それは本作でクルジジャノフスキイ色が薄まってしまっていることを意味しない。クルジジャノフスキイ独特の味─執拗なまでに反復されるパターンや、一種異様な細部、反転した論理のなかで理路整然と駆動する世界─を存分に味わうことができるだろう。


画像2

ソ連で初めて刊行された作品集初版(右、1989年刊行)と、英訳作品集(左、2009年刊行)。ともに『未来の回想』を表題作としている。


再評価まで

 『未来の回想』が、作家の「引き出し」に長年突っこまれたままになっていた作品だということはすでに述べた。反面、『未来の回想』は、クルジジャノフスキイ再評価のきっかけを作った作品でもあった。一九八九年、ペレストロイカ期に、詩人・評論家のヴァジム・ペレリムーテルが編集した初めての作品集が刊行される際、『未来の回想』は表題作として選ばれた。また、英語圏で広く知られるきっかけとなった、ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックスのシリーズの一冊として刊行された作品集『未来の回想』(二〇〇九年)は、読書界で話題を呼び、翻訳文学賞にノミネートされた。
 世界的な再評価の波は、現在も進行中である。ペテルブルグのシンポジウム社から出版された選集は、当初の予定では五巻本のはずだったのが、今年に入って書簡や同時代人の証言などの資料も収録した六巻目が刊行された。良作をそろえることで定評のあるニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックスのシリーズは、『未来の回想』のあと、『文字殺しクラブ』、『死体の自伝』(今秋刊行予定)と、つぎつぎとクルジジャノフスキイの作品をカタログに加えている。
 二一世紀におけるこうした世界的活況を見るにつれ、まさにクルジジャノフスキイの作品は、六〇年の時を越えて「引き出し」の中から甦ったのだと言いたくなる。その意味では、この小説こそがすぐれて「タイム・マシン」なのだ。読者はこの、突然あらわれたかのように見える作家とその作品を、今まで手垢のついていない分、どのように読んでもいいという特権を享受することができる。
 すでに説明したように、クルジジャノフスキイの作品は当時の社会状況を色濃く反映させたものであるし、風刺的な要素もかなりある。しかし、それと同時に、その作品の普遍性、時代を超えて生き残る生命力を考慮しないわけにはいかない。上田氏も「脳内実験から小説へ」でクルジジャノフスキイをポーやボルヘス、カフカといった作家たちとともに「世界文学」として読む可能性について触れている。それに加えて、われわれ日本の読者は、クルジジャノフスキイを日本の作家と接続してもよい。たとえば筒井康隆や円城塔の一部の作品と、クルジジャノフスキイが似通っていると感じられることもある。もちろん両者が作品を参照したわけではないのだが、これは世界文学における時空を超えた興味深い共振現象と言うべきだろうか─そのような自由な読みをゆるす強度をクルジジャノフスキイの作品が持っていることはまちがいない。ただそのためには、読者との出会いが不可欠だ。邦訳も、前作の『瞳孔の中』に続いて、今後もひとりでも多くの読者との出会いがあることを祈っている。

・・・・・・・・・・

 何重にもツイストがきいた、論理自体が裏返しにされて翻訳に抵抗するような、クルジジャノフスキイのテクストを日本語に置きかえるのは、楽しくも骨が折れる作業だった。見落としや、間違いも多いかと思うが、読者のご叱声を乞う次第である。
 最後に、編集の労をとっていただいた木村浩之氏に感謝いたします。木村さんとやりとりを始めたのは二〇一〇年の冬にさかのぼる。当時アメリカ、ウィスコンシン州マディソンに滞在していた私は、「なにか翻訳をしませんか」という誘いをうけて、いくつかの作品を提案したのだが、その中にこの作品もあった。その後、紆余曲折があり、三年後にマサチューセッツ州ケンブリッジで翻訳に着手することになった。木村さんにはその間、『クルジジャノフスキイ作品集 瞳孔の中』もふくめて大変お世話になった。今回も、ゲラになる前となったあとで、詳しく訳文をチェックしていただいた。それに加えて今回は、日本を離れている訳者のかわりに、邦訳文献などの調査もお願いした。氏の篤実な、プロフェッショナリズムにもとづいた援助がなければ、翻訳をかたちにすることはずっと困難だっただろう。こうして、なんとか三年前からの所期の目的を果たすことができてほっとしている。

二〇一三年七月 ケンブリッジ

----------

『未来の回想』について、各オンライン書店さんの販売ページをご案内します。

→hontoネットストア
→楽天ブックス
→セブンネットショッピング
→ブックサービス
→ヨドバシ.com

----------

松籟社の直販サイト「松籟社stores」にて、『未来の回想』を販売しています。同じくクルジジャノフスキイの短編集『瞳孔の中』も販売中。どうぞご利用下さい。

----------

秋草俊一郎さんが訳された『私の人生の本』は、『ノーホエア・マン』などが日本でも翻訳紹介されて話題になった旧ユーゴ出身の作家アレクサンダル・ヘモンによるエッセイ集です。こちらもどうぞご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?