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20年目のLost in Translation

ソフィア・コッポラの『Lost in Translation』を久々に見た。
本作はソフィア・コッポラの半自伝的作品であり、翻訳の喪失というタイトルが示す通り日本語という言語の壁と人生の岐路や迷いに翻弄される異国の登場人物たちが描かれる。

僕が高校生だったちょうど20年前、第一志望だった大学のオープンキャンパスで東京に初めて来た。(それはちょうど本作がアメリカで公開された年だった)
この映画で描かれたTokyoは地方出身者の僕にとっての東京に等しい。東京はモノと情報が加速度的に動いて文化を形成する。

映画の公開よりしばらくして大学に入学した頃、東京には今のように観光客はいなかった。その頃は東京は観光地としはあまり認知されてなく、物価も安くなかったからだと思う。(合間にリーマンショックに起因する世界金融危機もあり、円がドルより2倍も強い時期があった)

日本はオワコンと言われて久しい。渋谷駅周辺の土地開発は進み、スクランブル交差点には外国人観光客が溢れている。Lost in Translationの影響で訪れる観光客も少なくないという。
映画のロケ地の多くは未だに残存しているが、駅前のHMVはだいぶ前に閉店したし、代官山のUnitも今はもうない。
二〇〇〇年代が青春だった僕にとって、この映画に写ってる景色を懐かしく思う。

東京は絶えずビルト&スクラップを繰り返すし、分かり合えない人たちも多い。そんなことを思いながら改めて本作を観ていた。

#都市論

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