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サマージャム'20(withコロナ)

いつまで傷ついてんだ、この中でなんとかやってくしかしょうがないだろ、と言われても、それはそうなんだけど、わかってんだけど、“withコロナ社会”のやっていき方なんてクソほど考えたくない。
「withコロナ社会をサバイブする仕事術」とかまじサブイボ。サバイブ=サブイボ。
あれだ、大学三年生になったら、周囲が突然「やっぱり商社は〜」「私はもともと建築が好きで〜」とか言い出した気持ち悪さと似ている。(もっとも、仕事社会全般がこの気持ち悪さと似ているとも言え、目をつぶって猛進できない私はつくづくその適性がないのだ。)

毎月おすすめの音楽イベントを紹介する連載をしていたが、4月から休んでいる。
うるせーな三密上等だみたいな催しも、1mの距離を取ってフェイスガードみたいな気狂いルールに従った催しも、どちらも推薦する気が起きない。
せめてものライブ配信、には心から同情するし、支援はするれけど、本質的には代替不可能なものだという虚しさは拭えない(非対面、非接触、2mの距離を取って無言で、セックスはできない)。
企画/プロデュース/コーディネート業としても、「会う、集まる、そこへ行く」ということを封じられると、何をしたらいいのかぜんぜんアイディアが浮かんでこない。そもそも今、楽しいことをぜんぜん思いつけない。楽しくないから。

「withコロナ社会」、「新しい生活様式」は、「音楽(等)の現場が常にそこにある暮らし」を解体しするものにほかならない。
何も状況が改善しないまま、曖昧に再開されてゆくライブやクラブに、待ってました!と馳せ参じるモチベーションをなんとなく取り戻せない人は多いだろう(あろうことか私自身がそうだ!!嗚呼なんということでしょう!!)。
これは、まだ感染が不安だから、というだけではない。習慣や日常というのは、不可抗力な外圧によってはいとも簡単に変わってしまい、その一方主体的に変えることは困難なものだ。
やがてワクチンが完成し、それまで潰れずにどうにかして乗り越えたライブハウスにも、おそらくかつてと同じ数の人は戻ってこないのだと思う。残念ながら。

マスク焼けの夏がそこまで来ている。
「コロナのせい」で「ついつい流されちまう」のは腹立つしかっこ悪いし語呂も悪いから、そろそろ参ってるだけの日々を脱さないといけない。


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