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【旅の記録②】2か所目のWwoof inスウェーデン

2023年9月15日~2023年10月9日 スウェーデン Stockholmから南へバスを乗り継いだところにある家庭農園。

ここのボランティア先も日本にいるときから決めていて、事前にビデオ電話もしていた。電話では、ホストマザーがすごく優しそうで、当時wwoofをしていた人とも少しコミュニケーションを取ることができて安心してRosenhill を離れることができた。

家庭農園について

当たり前だけど、一個前までいたRosenhillと比べて圧倒的に小さな農園。6次産業と比較してしまうのはよくないのは十分承知だけど、前の場所が充実していた分のギャップに少しショックを受けた部分があった気がする。

夏の終わりごろということもあって野菜の収穫は終わっていた。朝と夕でニワトリとウサギの餌やり。一日5時間労働というのが決まりだったのだが、餌やりで合計2時間で、あとの残りはホストマザーの手伝い。手伝いの内容はホワイトボードに1週間ごとに書かれていたけど、当日になってやっぱりやめようとか、急に来客が来たから変更とかでなかなかやる事を達成させることが出来なくて少しモヤモヤ。
仕事をする時間と休む時間にしっかりメリハリをつけたい私にとっては、いつホストマザーに呼ばれるかわからないで過ごす自由時間が嫌だった。でも今思えば、「働く」という考えだったかたいけないのかなとも思った。同じようwwoofをしている人達はあくまでホストを手伝う感覚なのだろうな。謎の「やらなきゃ」精神があるせいで自分の首を絞めている。これって日本人ならではな気もする。

ヒトと話す楽しさ

最初の1週間は他のwwooferが居なくて、ホストマザーと2人だけで生活していた。ホストマザーは少し体調を崩しやすいこともあって寝室にいる時間が多く、夕飯や一緒に出掛ける時くらいしか話す機会が少なかった。ホストファザーは普段ストックホルムに住んでいて、土日に2日間帰ってくるだけだからあまり話せなかった。本来のファームステイというのはこういうものなのかもしれない。一番最初に20人くらいもいる場所にいたから差にやられてしまっていた。
でもホストファミリーは日本について結構興味を持ってくれたし、うちより詳しい事とかもあったから、スウェーデンと比較して文化について話すことが出来たのは楽しかった。

滞在して一週間経って、フランス人のwwooferが来た。その子が来てから。おしゃべりしながらご飯を作ったり、チェスとかボードゲームを楽しんだりと会話を増え、何気ない会話をする相手が自分には必要なんだなと気づいた。お互い英語はうまくないから、たまに会話がつまずいたりするけどそれでも楽しい。

「綺麗」の基準

うちが1番ギョッとしてしまったのは家の汚さ。最初は本当に耐えられなかった。床はホコリだらけで靴下で歩きたくない。ゴミ箱がすぐ横にあるにも関わらずゴミが床に転がっている。最後の掃除したのいつ?って思うくらいトイレの便器も汚い。少し蛇口から水を出しただけで人の髪の毛で詰まる排水溝。シンクには山積みの食器、その上にはハエが飛んでいる。

やばいところに来てしまったと思った。

驚きなのがホストマザーはこの環境に何も気にしてないし、掃除をしようともしない。これを汚いって思ってないんだな。もしくは汚いと思っても掃除しようという考えには至らないのかも。
もちろん「綺麗」の基準は人によるから、この家の「綺麗」に納得がいかないのなら、自分が納得できる「綺麗」を作っていかなければならない。
おかげで毎日掃除をしていた気がする。私はハウスキーパーかい…

メロンパン 世界進出

でもすごく嬉しいこともあった。
ホストマザーの趣味がアクセサリー作りでたくさんの作品が家にしまわれていた。これらは週末に行われるマーケットで売るらしい。
私はハンドメイドが好きだし、私自身編み物や裁縫を暇なときによくしている。ハンドメイドでなくともマーケットが行われるほんわかした雰囲気が好きで、帯広にいた時もファーマーズマーケットとか外にお店が沢山並んでて、お客さんと店員が近い距離で話せる環境がすごく好き。だからマーケットについていく手伝いをお願いをされたときはウキウキしていた。

マーケットで店番をしている間のおやつ用に家で焼いたクッキーを持って行ったのだが、ホストマザーが「そのクッキー売っちゃいなよ」と言ったのが始まりだった。なんの変哲のないただのクッキーがどんどん売れていく。私の胃に収まるはずだったクッキーが、お金となって帰ってきたことが衝撃すぎた。

これは自分が旅でやりたいことの一つで一番難しいのではないかと思っていたことが実現できるのではないかと思った。

次の日から次の週にも行われるマーケットに向けて準備を始めて、「自分で作ったメロンパンを売る」を達成することが出来た。
その時に行われたマーケットはヴァイキングマーケットで、みんなでヴァイキングの民族衣装を着てハンドメイドのモノを販売する。
ヴァイキングというスウェーデンの文化と、昭和初期から日本で愛されているメロンパンが融合したことがとにかくうれしかった。初めてメロンパンを見たお客さんにとっては少し奇妙なパンに見えたかもしれなかったけど、試食をしてもらったり、メロンパンの説明をしたことで興味を持ってくれて
2日間で14個のメロンパンを完売することができた(1個つまみ食いしちゃった)。

ここのファームで何回も感じたのが「命」
ホストマザーの手伝いは主に遺品整理の手伝い、お葬式前日に葬式用のケーキを一緒に作ったりという内容だった。というのもホストマザーの母が私が来る1週間前に亡くなったそうだ。ばたばたしていたにも関わらず、私を引き受けてくれたことがとてもありがたかった。
葬式当日、私は家でゆっくりしていたのだが、帰ってきたホストマザーは「お葬式は楽しく終えられた」と言っていた。
葬式の感想を楽しいと答えるのって日本ではなかなか出来ないよね。人が亡くなることが悲しいことでは無いっていう考えから生まれるんだろうな。

もうひとつはニワトリ。ニワトリへの知識はなかったため、たまごがどの頻度で産まれるのか知らなかった。「おはよう」とニワトリに挨拶して確認すると、そこにはほぼ毎日たまごが産まれていた。その度に「今日も産んでくれてありがとう」という気持ちになる。それらはパンケーキになったり、目玉焼きになったり、色んな形となっておいしくいただく。
また、冬に向けてニワトリ小屋を新しくするため、育てているニワトリの頭数を減らす必要があった。そのため、毎年この時期になると何頭か屠殺するのだが、その手伝いをお願いされた。畜産系の大学に通っていることもあって、ブタの屠殺を見てきたから大丈夫だと思ったけど、何も知らずに朝に餌やりした後に、その当日に行われたから心に準備ができていなかった。
屠殺方法は、頭に強い衝撃を与えて失神した状態で血を抜いていくという一般的なやり方?だとは思うのだけど、私はニワトリの頭に衝撃を与えるために暴れているニワトリの足をつかんで逆さまにした状態に保持するのを任された。
結局、暴れているニワトリを放してしまったため、ホストファーザーが代わりにやってくれたのだけど、ただ見ているだけでもショックは大きかった。この屠殺は強い衝撃を受けたものの、その後とてもおいしくお肉をいただくことができたし、普段食べている食べ物だけでなく、食べ物を加工する職人の方への感謝の気持ちも強くなった。そしてこの気持ちをずっと持ち続けられる人間でいたい。

※上の写真はうずらが産んでくれたたまごで作った朝食


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