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【旅の記録⑤

久しぶりの投稿。
定期的に旅で感じた思いを文字起こししたいのだけれど、相変わらずの面倒くさがりと、自分に本当に余裕がある時にしか文章が書けない。まあ、本名でやっているインスタ日記は毎日続けられているから良しとしよう。

日本を出て200日以上経過、今はアイルランドにいて農業の手伝いをしている。
今回はイギリスの初めてのボランティア先で出会ったクルド人の話と、フィンランドで出会ったイスラエルの子の話をしたい。

クルド人

イギリスに来て初めてのボランティア先だったMilton Keynes の厩舎の掃除の手伝い。そこで出会ったのはトルコから来た、クルド人の子だった。
クルドってどこの国?トルコとは別なのか?と疑問ばかりでたくさん質問をしてしまったが、彼は英語を勉強しにイギリスの語学学校に3か月通って、残りのビザの期間を過ごしている状態らしく、英語が上手く話せなかった。
それでも気さくな優しい子で、グーグル翻訳を使いながら自国の現状を話してくれた。

クルド人は「国を持たない最大の民族」と呼ばれていて、トルコ、シリア、イラン、イラクをまたがって暮らしている。共通の言語、文化、習慣などがあるが、自分の国を持っていない民族である (トルコ語とクルド語を教えてもらったが忘れた)。

様々な国にまたがっているためそれぞれの国の問題にも影響を受けてしまうのだ。トルコはクルド人を制圧しようとしていて、トルコの端へ追いやってしまっているのが現状(だいぶ話をはしょっている)。

クルド人の彼はトルコに住んでいたものの、医療機関の援助が全く届いておらず、癌になった両親を病院につれていけずなくしてしまったらしい。お金になる仕事もトルコでは見つからないからと言って海外で働けるように英語の勉強をしているのだ。
とても厳しい世界に生きていたなんて思えないほど、彼は明るく元気な子だったため衝撃がすごかった。

日本に住んでいると世界で起こっている残酷な現状をニュースでただの情報として流れてくる。そして、私はあまりニュースを見ないため知らないことが多い。安全な日本でのんびり過ごしていた中で世界でこんなことが起きていたんだ…

彼は私が来た日から2週間後に、スペインへ兄に会いに行くためにここを離れると言っていた。久しぶりに兄に会うらしくてすごく嬉しそうで、別れる当日もウキウキでバイバイしていた。
しかし、2日後に彼から連絡が来た。

スペインに入国できない。

入国審査で何かやらかしたのか、なんなのかそのメッセージを最後に2日間音沙汰がなくなってしまった。

2日後、厩舎のオーナーから直接連絡が来て「彼が戻ってくるからよろしく」と伝えられた。安否は取れたからホッとしたものの、原因は何だったのかオーナーに尋ねてみたら、スペイン政府からトルコ人に対しての差別を受けたのではないかと言っていた。

その次の日に彼と再会し、彼は前と変わらない屈託のない笑顔で再会を喜んでくれたが、彼に起こったこの数日間の話がとてもショックだった。

彼の話によると、
スペイン行の飛行機が無事着陸した後、スペインの警察によって連行されたという。トルコ人だけが集められて向かった先が刑務所。刑務所で2日間閉じ込められていたそう。イギリスに返される飛行機代も払わされ、イギリスに帰ってきた。

なぜ、こんな話を日常会話のようなテンションで話せるのかがわからなかった。相当ショックを受けただろうに…

次の日から彼は何事もなかったように私と一緒に厩舎の仕事をしていた。

2週間後、彼は「もう一度スペインへ行ってみる」と言って、私に別れを告げた。今度は問題がなかったらしく、無事スペインで兄に会うことができたそうだ。

スペイン入国後に送られてきた写真

彼の体験の話を聞くと、私が今までされてきた差別とは比べものにならない事を彼は受けきたのだなと感じた。彼以外にも同じクルド人が、ただクルド人として生まれてきただけで迫害されてしまう。私がビザなしでヨーロッパを周れるのは日本国籍、日本人だから。

世界には人間の手によってたくさんの美しいものがある、一方で人間の手によって残酷な世界であることも確かだ。

世界から差別がなくなればいいのに…

イスラエル・ガザ戦争

度々日本のニュースでも話題になっている、イスラエルとガザとの間で起こっている戦争。パレスチナ地区の行政区画のガザとイスラエルは昔から衝突と和平交渉を繰り返している。
私は時事と歴史には疎いからあまりこの事に関して深く話すつもりはないので、詳しい現状を知りたい方はこちらから。

その戦争が現在でも続いているのだが、フィンランドのWWOOFでお世話になった農家さんの場所で出会ったイスラエルの子は、そこでボランティアを終えて自国に戻ったものので危ないから、疎開のような形で戻ってきたらしい。

私はヨーロッパ以外の国から来た子、「イスラエルってちょっと危ない国だよね?」というイメージから第一印象がとても強かった。
実際10日間しか一緒にいることができなかったが、明るくて、面白くて、優しくて、絵が上手で、人懐っこくて、頼れる子。すぐに仲良くなれた。


抹茶ラテ気に入ってくれた

私がそこの農家さんの所を離れた後も、彼女はしばらくそこでお世話になっていた。インスタとWhatsAppを交換していたから、私がフランス、ドイツと場所転々としても電話をしたり、連絡を取っていた。
今何しているのかとか、面白いリールを送ってきたりとか、ほぼ業務連絡でしか連絡を取らない私の性格からするとなかなか慣れなかったが、英語を教えてもらったり、旅の心の支えになるような言葉をかけてもらったりして、楽しくチャットを続けていた。
そんな状態がしばらく続いたある日、彼女から連絡が来た。

フィンランドを一旦離れて実家のイスラエルに戻る

正直、すごく心配になった。ニュースみる感じ、戦争はおさまっているどころか激化している。そんな状態でイスラエルに戻るの危なすぎると思い、心配の声をかけたが、彼女は「でも、クリスマスは実家で家族の過ごしたい」と言っていた。

海外ではクリスマスは家族と過ごすことが多い。正月よりもクリスマスの方が、大事なイベントであるみたいで、クリスマスの当時はイギリスの厩舎でボランティアをしていたのだが、厩舎の従業員にクリスマスの期間に予定が一つもないことを本気で心配された程だ。日本でのクリぼっちはだいぶ慣れていたが、去年のクリぼっちはどうすることもできないのに焦ってしまった。

話が逸れてしまったが、彼女はクリスマス前にはイスラエルに戻ってそのまましばらくイスラエルにいると言っていた。家族と大事な日を過ごすのはとても大切なことだし、家族を大事にしているのはすごくステキだなと思った。一方で戦争に巻き込まれたりしないか、急に連絡が途絶えたりしたらどうしようとか嫌なことばかり頭に浮かんでしまう。
そんな私に対して彼女は、「あなたが思っているより深刻じゃないから安心して」と言ってくれた。大変な状況にいる彼女に慰められるという訳の分からない状況ではあったものの、彼女からは連絡をくれる度にたくさんのエネルギーを与えてくれる。

しかし、「最近、爆弾の音が聞こえてきてよく眠れない」とか「夜中にサイレンがなって一時避難した」とか生々しい話もしてくれたりして、連絡をしてくれていることでしか安否を知ることができない私の不安は消えることはなさそう。

私がフィンランドの農家さんを離れるときに、その農家さんとイスラエルの子と約束をした。

またここで会おう

この旅でたくさんの人との出会いと別れを繰り返してきた。今まであってきた人達の半分以上は別れたきり、インスタで繋がっているだけ。でも彼女は違う、本気で会おうとしてくれるし、私も会いたい、感動の再会というものを味わいたい。
連絡を取り続けてよかった。

シェンゲン協定の区間は2月からまた入れることになっている。ずっと二人で考えていた計画を動き出すときが来たのだ。
私は6月2日からフィンランドの同じ農家さんのところでお世話になり、その前日から泊っている彼女とまた会う。

彼女が航空券を購入した連絡をしてくれて現実が増していく中で、戦争は更に激化。フライトが欠航になる可能性もあるかもしれないが、こればかりは祈るしかない。

世界から戦争がなくなればいいのに…

※上の写真はイギリスのクリスマスマーケットでクリぼっちをかましてきたときの写真


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