どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるか。桜前線上映「秒速5センチメートル」


どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるか。 
桜前線上映「秒速5センチメートル」
  

何回か見てるのに今日初めて「速さ」がテーマであることに気づいたかもしれない。題名に「秒速」がついているから当たり前といえば当たり前だが…
今回のリバイバル上映は、通勤途中の大森キネカでの上映最終日だった。
 
第1話「桜花抄」
豪徳寺駅(小田急)から岩舟駅(両毛線)にたどりつくまでいくつかの電車を乗り継ぐ。
降雪のため電車はどんどん遅れ、電車はのろのろ運転になり、ついに長い時間停車。
「速さ」と「時間」がずれていく。
19時の約束が0時近くに到着。
 
第2話「コスモナウト」
種子島でのロケットの打ち上げと、カブバイク、サーフィン、そして歩く速度。
それぞれの速さがゆったり描かれる。
うまく波に乗った日に告白しようとしたコンビニ前で動かなくなるカブ。
とぼとぼ二人歩く前に現れた打ち上げロケットの軌跡。
 
第3話「秒速5センチメートル」
社会人として淡々と仕事をする時間、結婚直前に岩舟駅での両親との別れ。
豪徳寺の踏切ですれちがう二人。
打ち込んでいた会社を辞めた貴樹に、話しておきたいことがあると明里からのメール。  
第3話はストーリーというよりも、映像の走馬灯。
 
「速さ」というテーマ
どこか懐かしい、切なく儚い青春の恋の物語、というのが表面的ストーリー。ここに魅かれる人も多いようだ。
それぞれに速さがあり、その速さもいろいろ変わり、速さがぴったり合うということは永遠に訪れそうにはないというメッセージ。
その速さの先にあるものを含めて。さまざまなひと、もの、ことの速さが、お互いに交錯したりすれ違ったりする世界。
「速さ」が立体的に織りなす社会。
そのずれがときに心の琴線を奏でる。
「速さ」そのもの、それがこの映画のテーマではないか。
 
速さをそろえようとしてきた
 速さを統一させること。
 それが近代学校の由縁であり由来である。
 一列に並ぶ、時間になったら一斉に始めたり終えたりする、特定の時間にみんな同じ行動をする…
時間を区切るということは、速さをそろえるということ。
 この(江戸時代の人たちからすれば)不思議で奇妙な行為は、われわれには全く当たり前の、あまりにも自然な光景として映るため、暗黙知となり無意識下に沈み込んでいる。
 
寺子屋の教育システムは個別学習システムだった
 近代人の目で見ると、江戸時代の寺子屋も近代の学校と同じようなものだと早合点してしまう。
 寺子屋の師匠は、一斉授業を知らない。
 知らないから、一斉授業はしない。
 そもそも、寺子屋には入学とか卒業という概念がない。
 いつ入って、いつ去るかは子ども、いや子どもの家の事情で、すべて個別的。またなんどきに寺子屋に来て、なんどきに帰るかも、個別の事情だった。
 一人ひとりの子どもの事情に合わせて、課題が与えられたし、学ぶ速さは1人ひとりのスピードでなされた(学ぶ速さは学ぶスピードだ←同じことしか言っていない)。
 
近代学校の先生も初めは寺子屋の師匠が務めた
 言うまでもなく、学制が発足した時、今みたいな学校教師は日本に存在していない。どこを探しても、人材は寺子屋の師匠しか見当たらない。
 寺子屋の師匠が学校の先生を務めたのだから、明治初めの学校は、個別学習システムのままだった。だいたい一つの学校に先生は一人。異年齢の子どもが一堂に会していた。
 
三十年間は等級制だった
 今みたいな学年制をとるほど先生がいたわけでもないし、そもそも一斉授業を知らず個別学習システムしか知らない先生が一校に一人しかいないのだから、等級制は自然だった。  
江戸時代の寺子屋の学習システムをそのまま容認したのが、等級制である。
 やがて、師範学校を出た先生が徐々に増え、一つの学校に複数の教員がそろいだし、師範学校出の教員が過半数を超えだした頃より、漸く、今みたいな学年(学級)制に切り替える学校が出現する。
 過半数の小学校が学年学級制になるのは、20世紀になってからである。一斉授業が広く知れ渡り、日本のすべての学校で一斉授業が行われるようになるには、明治の終わりまで待たねばならなかった。
 
師範学校出の教師が花開く
 師範学校出身(特に高等師範学校出身)の教師たちが創り出したのが「大正自由教育」である。一斉授業を大前提にしながら、師範学校による教員養成の枠を超えようとした運動となった。
 
秒速5センチメートルから秒速7・9キロメートルまで
 江戸時代の寺子屋のシステムは、異なる速さを共有するシステムだった。
1960年代から70年代にかけて繁殖しジャパンアズナンバーワンの源泉とされた通俗学力主義(教師の仕事は学力をつけること。学力は知識量。成績は知識量を測ること)からの脱却(沈みかけた日本丸からの脱出)を賭け、1987年臨教審答申「教育の多様化」提唱、平成新指の生活科(元祖汎用的資質)導入、世紀末新指Period for Integrated Study(統合された学び=総合的な学習)の導入、令和新指の汎用的資質導入と続くも、現場は35年間通俗学力主義が惰性で支配、跋扈してきた。
長い間の思考停止を引き継ぎ、すでに半分以上沈みかけている日本丸に未だに子どもを乗り込ませ、船中の座席争い(通俗学力争い)に参加させようとし続けるのは、あの太平洋戦争中の一億玉砕思想と軌を一にする。
 
すべての教育実践は賞味期限切れである





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?