私たちはどう学んでいるのか
上の本を読んだ。ざっくり紹介すればひとが何かを学んでいるときに何が起きてるかを科学的知見に基づいて論文や本、筆者の自著や実験を引用しながら丁寧に説明しつつ、学ぶことの本質について『創発』という観点から書かれてます。
『創発』とは「何かをつくりだすこと」と説明されてますが、これは少しむずかしい概念です。実際に創発について説明されてる文を抜粋してみます。
う~ん、よくわからないですね。還元不能性とは何なんでしょうか??意図の不在とは、意図がないこととわかりますが、還元不能性なんてことば初めて聞きました。説明も自分には難解にかんじます。なので最近はわからないことはググるのではなくてグーグルが提供するGeminiに「誰でもわかるように教えて」と訊き説明させてみましょう。
なんとなく、ここまで辿って創発が見えてきました。創発的な観点とは、明確な意図をもたず、対象について触ったり試したり考えてる内に全体像が見えてきて学ぶことの本質が見えてくるという意味と自分は解釈しました。
難しい本は理解するまでがしんどいですね。まあ、すべて理解する必要は正直ないと自分は考えてるんですが、これは出発点なので大事だと考えすこし長くなってしまいました。さて、本の内容に再度もどってこの本は6章で構成されてます。
各章どれも興味深いのが多いのですが、すべての章について要約したりすると長くなるので自分が読んでて興味深かった箇所や自分も実感として、正しいとおもった部分をピックアップして紹介していきたいとおもいます。
まず、第一章の能力という虚構です。ぼくはむかしからよく考えていたのが『人間の能力に大きな差はない』と考えてたわけですが、そもそも能力を正しく測ることは相当難しいしナンセンスなようです。
能力とは一体何なのでしょうか?それは作者曰く人に備わっている『力』を差別化、序列化するために修飾する言葉が能力のようです。例えば腕力で見てみましょう。
純粋な腕力を測るとしても体調が悪ければ本来のちからは発揮できず、平時は腕力で劣るものでも腕相撲などの力を比べる行為で勝つこともあるので安定性がないということになります。能力とは内在する力をいつでも扱えることも能力の要素である以上、どんな時でも力を発揮できなければ能力と呼んでいいかは疑問がのこります。
また、他にも物理的な力だけではなく能力は知覚できないものもあります。たとえば表現力や思考力などです。これらは日常生きていればよく耳にする単語であるが、これらの曖昧な能力を検討するきちんとした研究は存在しないらしく、さらにこれもよく耳にしますが論理的思考力や数学的能力さえ文脈に非常に左右されるので、きちんと測れてるかは疑問が残るといいます。
というか、測り方は好みの問題でただの仮説であると一蹴していた。章の終盤では能力という言葉があらゆる場面において勝手が良すぎるので、ひとの能力を正確に測ることが可能な概念として蔓延ってしまったのが問題だと主張してます。まあ、たしかに自分も試験なんかは試されてる気がして良い気分はしません。統治だったり選別するという意味ではワークしてるとおもいますが。
かなり、ざっくりと第一章を説明しましたが、実際に論理的な力を測る例題や、能力についての深い考察が書かれてます。気づいたらボチボチな字数になってきましたが学びについて、多様な観点からの考察が見れて自分としては勉強になりました。
あと、やっぱりイメージトレーニングは上達において非常に重要なようです。実際に身体だけを使って練習したグループよりもイメージトレーニングも並行して練習したグループの方が上達が早かったという実験も紹介されており、学びという行為について少し詳しくなれたとおもいます。
筆者が巻末で長い研究生活を振り返り得られた知見を紹介していたのですが、その中の一つが、「人間の知識・学習の転移(応用)は極めて限定的である」と述べてました。
すごく雑にまとめると学べることや人間ができることは少ないという意味だと思います。楽してあらゆることが学べる方法を知りたいひとにはあまり向かない本ですが、本質的に学ぶときにひとがなにをしてるのか知りたいひとには良い本だとおもいました。難しくて自分にはよくわからない箇所も多々ありましたが、興味のあるひとは覗いてみてください。それでは。
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