見出し画像

グラス売り場は怖くて歩けない。

プレゼントを選ぶ時間は楽しい。
果たして喜んでくれるだろうか?という不安が適度なプレッシャーとなって、自ずと選ぶ時間も長くなる。
自分の物ならばどんな買い物でもすぐに決められる自信があるのにそれとは大違いだ。
途端に優柔不断が顔を出す。


そんな優柔不断な私にとっての強い味方が百貨店である。
あっちの店に行ったりこっちの店に行ったりと器用に買い物をすることに慣れていない私にとって、一つの建物にたくさんのお店が集まっていることはとても重要なことなのだ。
それに百貨店は漠然としたイメージしか持たずに訪れたとしても、満足がいきそうな選択肢を各フロアに1つくらい持っていてくれる。
調子のいい日は2つ。
さらに店員さんの腕次第でそれは3つになる。 


プレゼントを考える時間が足りなくて、漠然としたイメージしか無いような場合、いきなり十分に満足させる物に出会ってしまうとついつい自分の買い物の癖で即断しかけてしまうこともあるのだが、そういう場合にも必ず足を運ぶ場所がある。グラス売り場だ。
大体どの百貨店でも「生活」とか「リビング」なんて名前の付いたフロアの一画にそれはあって、ずらりと包丁ばかりが並んだ棚と向かい合っていたり、色とりどりの最新調理器具が置かれたディスプレイを越えた先にあったりする。
アパレルフロアとは違ったトーンのいらっしゃいませが響くエリア。
そこはどこに立っていても一様に明るい。
グラスたちはフロア照明の光を優しく反射する。
見ようによってはまるで光を体内に蓄えて、グラスが自分の力で輝いているかのようだ。


大きな百貨店になると、ひとつひとつ丁寧に見たら一体どれだけの時間がかかるのだろうというくらい、たくさんのグラスが整然と並んでいる。
ワイングラス、ロックグラス、タンブラー。
シャンパングラスは見た目だけで特別な日を思わせるし、ペアで並んだ小さなショットグラスは落ち着いた夫婦のささやかな日常の幸せを連想させてくれる。
様々な種類があるグラスの中で、私が一番好きなのは美しい模様がほどこされた江戸切子のグラスだ。
赤や青、黒のグラスに切り込まれた模様。
繊細なその模様をじっと見ていると美しさに物欲がムクムクと湧いてきてプレゼントを選ぶという本来の目的を忘れかけてしまうほどだ。
我に返って値札を見ればいつも冷静な自分に戻ることができるのだけれども。


数年前に一度江戸切子の工房で製作体験をしたことがある。
もちろん全く初めての体験だった。
そんな私と一緒に行った彼女が店舗に並ぶようなグラスの模様を描けるはずもなく、店頭に並ぶレベルの技術は一朝一夕どころか朝々暮々取り組んだとしても、永遠に手に入れることのできないのではないかと感じたほどだった。
職人の確かな技術によって生み出された繊細な模様たちがほどこされた江戸切子のグラス。
当然のように美しく、そしてどこか儚い。
百貨店のグラス売り場はそこにいるだけでいつも私を満足させてくれる。
その体に液体を注がれたときに一体どんな表情を見せてくれるのだろう。
ビールだったら?日本酒なら少し柔らかく見えるのだろうか?
そんな想像を巡らせるだけでも楽しい時間。
けれども少しだけ状況を変えた途端、そこは私にとって恐怖の場所になる。
グラス売り場は怖くて歩けない。
例えば雑貨店の一画にあるグラス売り場。
観光地の土産物屋の奥にあるグラス売り場。
人が通るのも不便な通路の両サイドに所狭しと並んだグラスたちは、確かに百貨店にあるのと同じ”グラス”という物であることには変わりないはずなのに、私をどうしようもなく不安な気持ちにさせるのだ。


大学生時代に男だけ6人で伊豆へ遊びに行ったことがある。
伊豆高原の貸別荘へ二泊三日の旅。
有り余るほどにある学生の夏休みの数日を消費しての旅行だった。
移動は私が運転する父の三菱デリカ。
当時のデリカは今のように洗練されたボディのそれではなく、簡単に表現するのであれば四角。
四角いデリカだったあの頃の型だ。

四角デリカを運転しながら向かった伊豆高原。
男だけの旅行と言えど、いや男だけの旅行だからこそと言っていいだろう、気心の知れた人間しかいない道中の車内はいつもよりテンションが高かった。
けれども途中渋滞に巻き込まれた小田原厚木道路でその雰囲気は一変することになる。
私が緩やかな下り坂の途中でブレーキ操作を誤ったせいで、渋滞のために停車発進を繰り返していた前の車にコツンとぶつかってしまったのだ。
悔やまれるたった1つのミス。

幸い前にいた車のバックドアを多少凹ませた程度で怪我人もおらず、タイムロスこそしたものの目的の貸別荘にも無事に着き、楽しい時間を過ごすことはできた。
けれども旅行中ずっと、私の気持ちにはミスをしたことでバックドアのように凹んでいたし、友達たちへの申し訳なさみたいなものがずっとあったし、友達たちもそんな私をどこか気遣うような雰囲気で、心底楽しめた旅行だったかと言うとそうではなかった。
私はそういうのがとても嫌なのだ。
たった一瞬のブレーキの操作ミスで、せっかくの楽しい思い出に水を差すようなことが。
狭いグラス売り場はそういう一瞬の危うさをその全身に蓄えている。
背負ったバッグが気付かないうちにそこにある物の一つに触れ、その拍子にドミノ倒しのようにたくさんのグラスを倒してしまったら...。
想像するだけで寒気がする。
そしてそんな悲劇の瞬間を避けようとすることもせず、むしろ全霊で待ち望んでいるようなその場所は、やはりどうも足を踏み出し難い場所なのだ。


東京の錦糸町にある松徳硝子株式会社という会社が”うすはり”と名付けられたグラスを売り出している。
大正創業の老舗が作るそのグラスは名前の通り薄い硝子の口触りが売りのグラスだ。
いつか買ってそれでビールを飲んでみようと企んではいるものの、並べられていなくても十分に割れてしまう儚さをはらんだそのグラスだと、緊張のあまりビールが進まないのではないかと危惧していると同時に、もしかしたら慎重になることによってお酒を飲むペースが下がるのではないかと密かに期待していたりもする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?