bloodthirsty butchersのこと

以下3年前に書いたテキスト。

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ブッチャーズを初めて聴いたのは、確か高校生の頃。当時周りでNUMBER GIRLが盛り上がり自分も大好きで、その流れで友達に当時最新アルバムだったyamaneを借りて聴いた。
当時はブッチャーズでよく語られる、最初は凄さがよくわからないという感じで、かっこいいな、とは思ったものの聴き込むまでは至らなかった。

その後dinosaur jrなどを特に好んで聴くようになり、自分の好みが固まってきた頃、記憶が曖昧だけど、大学生になってJマスキスが来日してブッチャーズが前座を務めたことを知り、再び名前を目にしたように覚えている(田渕ひさ子さんが加入していたのもその時知ったと思う)。

そこでまず未完成を初めて聴いて、「これはとんでもなく凄いのではないか」と思うようになった。

早速次のライブを調べて、渋谷DUOで開催されたband apartとのスプリットツアーのファイナルを観に行った。

当時陸上部で、練習中に足を捻挫したので松葉杖で行ったら、会場スタッフさんのご厚意で椅子がある2階関係者席に通してもらった。そこでなんとライブを控えた田渕さんをお目にし、怖れ多くも持参してた写ルンですで一緒に写真を撮ってもらった。当時20歳、自分にとっては高校生から憧れて、CDや音楽雑誌の中だけの人だった、まさにアイドルであり、震えた。写真は家宝としてしまってある。

そしてライブ、観たこと、聴いたことがない音楽だった。4人が一塊になってぶつけてくる解析不可能な爆音。ライブハウスを突き抜けて、どこまでも拡がる大海原や大草原に連れて行かれたようなスケール感。ステージ上だけ違う世界のようで、そこから漏れ出る眩し過ぎる光を浴びているようだった。

それから出来る限りライブへ足を運んだ。当時大学生活に全く馴染めず塞ぎがちだった自分にとって、ブッチャーズは支えだった。ブッチャーズの轟音は、いつも優しかった。

ブッチャーズのライブといえば、とにかく音がデカい。でもただ大きいだけでなく、とても繊細な音の響きやバランスが魅力であったように思う。なので自分は観る場所をとても気にしていて、二本のギターが同じくらいの音量で聴こえて、かつ遮られずにダイレクトに轟音を浴びれるポジション、つまり真ん中・出来れば最前列を狙って頑張ってた(ミーハーなだけか…)日によって吉村さんの唄がほとんど聴きとれないときもあったが、微かにだが聴こえるくらいの感じも好きだった(唄は盤で散々聴きこんでたので脳内で補完してた)

どれも最高、というかそんな言葉も安く感じる凄いライブばかりだったが、特にシェルターで観るブッチャーズは個人的には特別だった。空間が飽和して、箱ごと鳴ってるようだった。(後期は少し広いネストやFEVERでのライブが多くシェルターは貴重、かつチケット取れずに泣きをみたこともあったような)

主にはライブ終盤、吉村さんがジャズマスターからオレンジ塗装のテレキャスターに持ち替える時の胸の高鳴りも想い出だ。Jack Nicholson、時は終わる、そして7月。自分、というかきっと多くのファンの皆さんにとっても特別であろう曲で使われた。最後の曲、全開の照明を浴びながら、テレキャスターからその日一番の轟音が放たれて、ホワイトアウトするような感覚は、何にも替え難かった。

やがて自分も就職、結婚し、自主企画や大事なイベントは欠かさないようにしたが、前ほど片っ端からライブを観に行くという感じでは無くなった。どこかで、また機会がある、と思っていた。

最後に観たライブは渋谷であった少年ナイフとのツーマン、ナイフのチャーミングさのお陰か、いつもながらの凄みに加え、和やか、温かなライブだった。ナイフのスタッフの方のブログでその後の共同ツアーの計画もあったと知った。

2013年5月27日、吉村さんは逝去された。

2020年5月27日、自分は36歳になった。

名曲「Jack Nicholson」が発表されたのは、吉村さんが37歳になられて間もなくの頃だったようだ。

『君がこの先大人になっても 悪い大人の手本でいたいんだ』

僕もどんどんと年をとっていく。
息子達にとってどんな手本になれるだろうか。

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