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黒人奴隷のほとんどは黒人によって売られた?!①

 大航海時代の副産物に「黒人奴隷の交易」がある。「黒人奴隷の交易」は欧米諸国にとっての「黒歴史」ともいえるものである。
 16世紀から近代にかけて、欧米諸国は黒人奴隷貿易によって潤い、黒人奴隷を酷使した農場経営により経済発展してきた。
 この黒人奴隷というのは、実は西欧諸国が武力で黒人を捕らえて奴隷化していたわけではない。なんと黒人奴隷のほとんどは、黒人自身により奴隷化され、売買されていたというのだ。

 16世紀当時、奴隷を主に購入していたのは、スペインだった。スペインは、西インド諸島などでサトウキビの栽培をはじめており、熱帯地域で過酷な労働に従事できる黒人奴隷を必要としていたのである。そして、スペインに奴隷を販売していたのは、ポルトガルだった。そのポルトガルは、黒人部族から、黒人奴隷を「仕入れ」していたのだ。当時のアフリカ諸国では、黒人部族間の争いが絶えなかった。黒人部族間の争いでは、負けた側は勝者の奴隷になる風習があった。奴隷貿易を行っていたポルトガルはそれを利用したのだ。

 その代表的な黒人部族(国)が、ダホメー王国である。ダホメー王国というのは、ギニア湾に面した、現在のベナン地域に勢力を持っていた黒人国家である。ポルトガルは、彼らに、銃、火薬、金属製品、織物などを渡し、対価として奴隷を受け取った。ダホメー王国は、ポルトガルから入手した武器を使って、周辺の黒人部族を制圧していき、そこで得た奴隷をまたポルトガルに売ることで、勢力を拡大していった。

 アフリカの黒人部族たちは、ポルトガル人にいいように利用され、滅亡と奴隷化の道に進んでいったのである。また黒人に限らず、近代まで、世界中で奴隷の売買が行われていた。イスラムのオスマン・トルコでも奴隷貿易は大々的に行われていた。日本でも戦国時代には、南蛮貿易で、日本人奴隷が輸出されていた。豊臣秀吉がキリスト教を禁止するまで、それは続けられたのである。

 黒人は他の人種に比べて、重労働に耐えうる肉体を持っていた。そのため、スペイン人のサトウキビ農場経営者は、こぞって黒人奴隷を求めたのである。その結果、黒人奴隷が、アメリカ大陸に大量に「輸出」されることになったのだ。

 2020年5月末、米ミネソタ州で黒人青年ジョージ・フロイドさんが白人警察官の暴行が原因で命を落とし、これをきっかけに人種差別抗議運動「ブラック・ライブズ・マター」運動が米国内外で拡大した。

 フロイドさん事件は有色人種に対する差別の存在を改めて気づかせたが、欧州各国では19世紀まで続いた奴隷貿易や帝国列強による植民地支配を問題視する動きが大きくなった。

 欧州社会では黒人市民は総人口の中では少数派で、その由来の元をたどると、奴隷貿易や植民地支配に行き着くからだ。
 「奴隷貿易」というと、「大西洋奴隷貿易」を指すことが多い。17世紀から19世紀、ポルトガル、スペイン、オランダ、英国などが主としてアフリカ西岸で捕らえた黒人住民を「新大陸」(現在の南北アメリカ、カナダ、オーストラリアなど)や西インド諸島向けに労働力として提供した。

 奴隷貿易のためにアフリカ大陸から連れ去られた人々は、奴隷制度が廃止される19世紀までの300年間で約1,200~1,300万人と言われている。足枷を付けられ、密集状態で船に乗せられた黒人住民は、アフリカから新大陸までの長旅を不衛生な環境、脱水症状、赤痢などの疾病と苦しみながら過ごした。輸送された黒人の10~20%が航行中に亡くなった。

 新大陸まで運ばれた黒人たちは、たばこや綿花、砂糖などを生産する大規模農園(「プランテーション」)で過酷な労働環境の下で働かされた。 一方の西欧諸国は奴隷貿易によって巨額の富を集積し、富裕層をさらに富裕にした。現在の欧州の主要都市のいくつか(例えばロンドン)は、こうした富の集積によってここまで発展したと言われている。

 

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