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黒人奴隷のほとんどは黒人によって売られた?!②

 スコットランド在住のジャーナリスト・作家アレックス・レントン氏は、奴隷貿易について「全くと言ってよいほど、知らなかった」という。母方のファーガソン家は、19世紀後半まで、祖先が奴隷を使った砂糖プランテーションをカリブ海のトバゴ島やジャマイカで経営していたにもかかわらず、である。レントン氏は、ファーガソン家が代々住んできた、スコットランド北西部の大邸宅に保管されていた古い資料の中にプランテーション経営についての手紙のやり取りや会計記録があることを発見する。

 働いていた人のリストもあった。どの名前にも価格が付いていた。成人の黒人男性は70ポンド、今でいうと乗用車が買える価格に匹敵する。6歳以下の黒人の子どもたちは8ポンドから25ポンド。馬は一頭で40ポンド、牛二頭は30ポンド。黒人の子どもたちの価格は動物の価格よりも低かった。「読んでいて、吐きそうになった」とレントン氏はタイムズ紙のインタビューで語っている。

 1773年、祖先の一人で20代半ばのジェームズ・ファーガソンは、単身、トバゴ島に向かった。プランテーションを建設するためだ。「人間愛と親切心でアフリカ人を使いたい」と在英の兄弟に向けて手紙を書いたジェームズだったが、ある金具のデザインについて兄弟の承認を求めた。この金具は奴隷の肌にあてて烙印を押すために使われた。これで奴隷が自分たちの所有物であることを示せる。ジェームズを良い人間だと思いたいレントン氏だったが、烙印を押す姿は残酷極まりない行為だった。

 執筆中のレントン氏の最大の関心事は、祖先がなぜ黒人を奴隷として使うことができたのか、だった。高い教育を受け、博愛精神を持つキリスト教徒の知識層に属した祖先は、いずれも当時の基準でいえば、「強い道徳観を持つ、進歩的な男性たち」であった。レントン氏は祖先が運営した奴隷プランテーションの歴史を「ブラッド・レガシー(血の遺産)」というタイトルで出版した。

 19世紀末までに、奴隷廃止運動の高まりを受けて、各国は奴隷貿易・奴隷制度を廃止していく。英国が奴隷貿易と奴隷制度を完全に廃止したのは、1838年。プランテーション所有者のファーガソン家は、政府から現在の金額で150万ポンド(約2億2,000万円)の補償金を受け取った。

 本の執筆中にブラック・ライブズ・マター運動が拡大した。レントン氏の取材によると、多くの白人市民は「黒人市民の歴史についてほとんど考えたことはない」、「もういいだろう、21世紀に生きているのだから。次に進んだ方がいい」と語ったという。

 アメリカ映画「マイ・ドッグ・スキップ(MY DOG SKIP)」は、原作者のウィリー・モリスが書いた1940年代の実話である。白人と黒人の居住地は完全に分離され、映画館では1階席が白人用、2階席が黒人用と分けられ、入場する際の列も異なる。白人優先で、黒人を含む有色人種が差別されている様子が描かれているが、主人公である犬のスキップは視覚的な特性もあるのだが、白人とか黒人とか関係なく人と仲良くしていた。肌の色にこだわるのは人間特有の汚点というしかない。

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