オリンピックと平和の関係性

    7月になった。来年の7月にはフランスのパリでオリンピックが開催される。オリンピックの何が素晴らしいかと言うと、同じ競技で戦った選手同士は勿論のこと、国籍の異なる観客同志がお互いの国の健闘を握手やハグで讃え合う姿が見られることだ。「政治」となると互いの「利」を主張してぶつかり合う国々が、「オリンピック」の舞台では互いの国の「健闘」「努力」を褒め合うのだ。まさにオリンピックの精神は「平和」の具現となっている。
   

 紀元前9世紀頃に始まった古代オリンピックは、ギリシャの都市国家間で休戦協定が結ばれ、大会期間中にすべての戦いが停止された。オリンピアに自国の選手を送る行為は「五輪休戦」の約束を守るという意志の表現だった。紀元前8世紀にすでに「エケケイリア(手をつなぐ)」という名の平和提案として制定されており、競技大会と前後7日間の移動期間においては都市国家間での争いがほとんど停止されたという。一方、近代五輪は夏季だけでも過去3度も戦争で中止されている。1916年は第一次世界大戦で、1940年と44年は第二次世界大戦で五輪そのものが中止に…しかも40年の夏季大会は東京大会の予定だったが、日中戦争が泥沼化する中、日本が五輪開催権を返上した。

 近代オリンピックは、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵によって提唱されたものだ。クーベルタンは、スポーツを通して人間を変革し、精神を発達させることを目指し、オリンピック期間中に文化・芸術プログラムを開催することが定められている。そして、クーベルタンは、スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与することをオリンピックの理念に掲げた。オリンピックが「平和の祭典」と呼ばれるのはこのことによる。オリンピック憲章では、オリンピズムの根本原則第2項として、「オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」としてオリンピックを通じて平和な世界の実現を目指すクーベルタンの思想が表現されている。

 「オリンピック休戦」と呼ばれるものは、オリンピック・パラリンピック期間中の休戦を呼びかける国際的活動を指しす。元国連事務総長のコフィ・アナンが「寛容、平等、公正、平和のオリンピック理念は国連の理念と共通する」と語り、国連総会においては1993年から2年に一度、夏と冬それぞれの五輪開催の前年に「休戦決議」が採択されてきた。1994年のリレハンメルオリンピック以降は国際連合決議という形で具体化されている。具体的には、オリンピック・パラリンピック大会毎に、大会開催国及びこれに賛同する国がオリンピック・パラリンピック期間(オリンピック開幕7日前からパラリンピック閉幕7日後まで)の休戦を国際連合加盟国に求める決議を国連総会に提案し、これを決議(採択)するという手続きだ。あくまで加盟国に休戦を呼びかける決議のため、法的な拘束力がないのが残念だ。 

 2022年の北京冬期オリンピック・パラリンピックについても、2021年12月2日の国連総会本会議で、中国ほか173か国が共同提案したオリンピック・パラリンピック期間中の休戦を求める決議を無投票で採択した。これに対し、ロシアは、2008年の北京オリンピック期間中にジョージアに侵攻し、2014年のソチパラリンピック後の休戦期間中にクリミア半島を併合するなど、過去2回の休戦決議違反を犯している。2016年、リオデジャネイロ・パラリンピック開幕直後には北朝鮮が核実験を再開した。2022年にはロシアがウクライナに侵攻し、ロシアによる休戦が3回目となった。「五輪休戦」の認識が世界に広がってきた一方で、パラリンピックが軽視されているというのも残念な話だ。
 

 元国連事務総長の明石康氏は語る。「五輪にはあらゆる国、民族、人種の人たちがやってくる。あらゆる人たちの事情や背景に触れ合うことのできる場である。単なるお祭りではなく、大事な夢、理念、希望をどうやって実現するか、国境を越えてみんなで考えてみる絶好の機会だ。」 
 古代オリンピックが「エケケイリア」の精神に則り、平和提案のもと開催されたように、世界が「五輪休戦」を遵守して、五輪とパラリンピックを開催する。その停戦がきっかけとなり、争いが起きている地域で話し合いがなされ、争いの数が減って平和が戻る。近い将来、そんな世界の実現が待たれている。78年間も戦争とは無縁の日本・・・どれだけ平和国家の象徴として国際貢献できるのだろうか。

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