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共に生きる ②

  フォトジャーナリストの安田菜津紀さんの講演を聴いての続きを書きたいと思う。

 パスポートを作るために戸籍を手にした際、父の家族の欄に「韓国籍」の記載を見つけた時、安田さんは上手く言葉に表すことができなかった。疑問ばかりが沸き上がり、なぜ自分の父はが自分のルーツを語らなかったのか、父の家族は生きているのか、朝鮮半島のどこから、いつ渡ってきたのだろうかを知りたくても、死者に尋ねることはもうできないと半ば諦めていたそうだ。そんな時に友人から「亡くなった外国人の登録原票、交付請求できるの知ってる?」と教えてもらった。安田さんのお父さんやその親族の手がかりといえば、戸籍に記載された「韓国籍」という文字と、祖父母の名前だけだった。
 そして、安田さんは、釜山に降り立つことになるのだが、少しずつ霧が晴れていくかのように、自身のルーツに向き合うことになった。

 外国人登録原票には馴染みのない人が殆どだと思う。この制度を知るためには、戦後の在日コリアンの歴史に触れる必要がある。朝鮮半島出身者は、日本の植民地時代には「日本人」とされていたものの、終戦から数年後、今度は一方的に日本国籍を奪われ、特定の国籍を持たない「朝鮮人」として扱われることになった。さらに朝鮮半島は南北二つの国に引き裂かれ、1965年、日本は南側の韓国とのみ国交を結んだ。その際に韓国籍を取得した人もいれば、「朝鮮人」「朝鮮籍」のままでいることを選んだ人たちもいた。

 外国人登録制度は、平たく言えば、戦後在日コリアンを主とした「外国人」を「管理」し、「治安維持」するためにできた仕組みだ。登録原票のうち、必要事項を記載したものが「外国人登録証」と呼ばれるもので、外国人は常時携帯するよう求められてきた。2012年に外国人登録制度が廃止され、外国人登録証が在留カードに代わっても、携帯義務は変わらない。安田さんは、日本で生まれた父や、祖父母の登録原票も、記録が残っているはずだと考え、霧が晴れていくのを待った。そして、厚みのある茶封筒が入管から届き、父と祖父の外国人登録原票のコピーを初めて目にすることになる。古い書類に刻まれた文字から、家族の歴史が立体的に表れてきたと安田氏は語っていた。祖父の金明根(きむ・みょんごん)さんが日本に渡ってきたのは戦中、14歳のとき、朝鮮半島南端の港町、釜山からだった。
 最初に記載されていた安田さんの祖父の住所は、京都市伏見区。そして1948年にお父さんが生まれた後はしばらく、大阪市西成区で暮らしていたようだ。お父さんは中学にも通わず、老舗の鰻料理店で住み込みで働き始めた。その後独立し、新橋に構えたその店で、お母さんがアルバイトとして働きはじめたのが二人の出会いだった。お母さんが知っていることと外国人登録原票の情報をつなぎ合わせても、分かっていることはほぼこれだけだった。お母さんは、お父さんの両親の名前も存在も知らなかった。亡くなったお父さんはこうして、不安定な生活の中で、まともに教育を受けられる状況ではなかったからこそ、絵本の文字をすらすら読むことが難しかったのだろうと安田さんは思ったそうだ。

 お父さんの生家跡から鴨川を挟んでほぼ川向のところには、2012年まで京都朝鮮第一初級学校があった。今では移転し、跡地にはホテルが建っているため、子どもたちが学んでいた頃の面影は殆ど残されていない。2009年12月から3回に渡り、「在特会」メンバーらがこの学校を襲撃し、生徒や関係者たちがまるで生きるに値しないかのような醜悪な言葉を拡声器で投げつけ続けた。いわゆるヘイトスピーチだ。彼らは差別をエンターテイメントのように消費した。子どもたちにとっては、命の危険を感じる経験だっただろう。そして、矛先を向けられたのは、子どもたちや学校に留まらなかった。彼らは近隣の高齢者施設まで襲撃を試みた。ヘイト集団から発せられる言葉の中には、特定の民族を虫や動物に例える表現が頻繁に表れる。「彼らは“ゴキブリ朝鮮人”って言ったりしますよね。あの表現には歴史的に意味があるんです。ゴキブリって叩いて殺しますよね。人間を、一般的に嫌われる生き物に例えることによって、殺しても良い存在だと、社会を扇動しているわけです。」と安田さんは語った。

 安田さんは、川崎市に住む高齢者となった在日コリアンが集う「ふれあい館」を定期的に訪問しているそうだ。日本政府は、「ヘイトスピーチ解消法」を平成28年6月3日に施行し、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動は許されない」と宣言している。「本邦外出身者」に対するものであるか否かを問わず、国籍、人種、民族等を理由として、差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動は決してあってはならないものだ。しかしながら、川崎では在日コリアンに対するヘイトスピーチがひどく、「ふれあい館」には元旦になると在日コリアンに対するヘイト年賀状が毎年のように届くという。これを受けて川崎市は全国に先駆けて「ヘイトスピーチ禁止条例」を全会一致で可決した。
 安田さんは語る、「次世代を担う子どもたちにヘイトスピーチの場面を見せてしまって良いのか」と…。そして、包括的に差別を禁止する法律や仕組み、もしくは、政府から独立した人権認定機関の設置を訴えている。

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