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トトロから学ぶスタジオジブリの脚本の素晴らしさ

 ナショナル・トラスト運動は、貴重な自然環境をとどめている土地や優れた文化財を、地域の人住民らが募金を集めて買い取ったり、寄贈したりして保護・管理していく運動のことで、産業革命期の19世紀末の1895年に英国で発祥した。ナショナル・トラスト自体、元々は歴史的建造物(文化財や歴史地区)の保護を目的としたもので、後に自然の景勝も保全する活動に拡大された。19世紀中頃より社会全体が豊かになる中で、急速にその経済力が衰えていったイギリスの貴族やジェントリなどの社会階層が、所有する歴史的建物や土地などが経済的な理由にも絡んで荒れ果てるケースも発生したため、これを保全する意味で始められた。絵本「ピーターラビット」の作者として有名なビアトリクス・ポターも、この運動をおしすすめたひとりだ。これらでは保全の資金を観光の入場料などに求めて収益事業とし、これによって最良の状態で観光客を受け入れることで、地域社会の観光開発にも寄与した。

 ナショナル・トラストは、その後アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランスなど世界各国に広がっていった。日本でも1964年、古都鎌倉を乱開発から守るために、作家の大佛次郎さんが鎌倉市民と立ち上がり、ナショナルトラスト活動を展開したのが始まりで、今では北海道の知床や和歌山県の天神崎、トトロのふるさととして知られる埼玉県の狭山丘陵など、全国50か所以上のところで、この運動が進められている。

 映画「となりのトトロ」の舞台のモデルの一つになったといわれる狭山丘陵は、東京と埼玉にまたがって広がり、トトロのふるさとの景色が残されている。公益財団法人日本ナショナルトラストが、この狭山丘陵の自然を守るために、1990年から寄付金を募り、森を少しずつ買い取り、「トトロの森」と名付けて守っている。
 愛知県民でありながら、まだジブリパークには行ったことがないのだが、私自身は狭山丘陵の「トトロの森」で映画『となりのトトロ』の空気感を味わってみたい。

 映画『となりのトトロ』は、宮崎駿監督によると、1953年を想定して作られた、個人宅にまだテレビのない時代とのことだ。宮崎駿監督は1941年生まれなので、47歳の時に自身が12歳の時代を舞台に作った作品ということになる。12歳というとサツキちゃんと同じ年齢で小学6年生、ちなみにメイちゃんは4歳という設定になっている。サツキもメイも「5月」を表す言葉だ。なぜ「5月」なのか。
 トトロに出会う前、サツキとメイが入院している母の見舞いに二人で行ったのは、サツキの通う学校が「田植え休み」の日である。昔の日本の農家では、5月(皐月)の田植えの時期は家族総出で田んぼに稲を植えるため、地域によっては学校が数日休校になることがあった。秋の稲刈りの時期も同様に「稲刈り休み」が存在した。雨の日のバス停のシーンは、旧暦5月(現在の6月頃)の梅雨の頃。つまり「皐月(さつき)」の頃。サツキとメイがトトロにつかまって空を飛ぶシーンでは、水が張られた田んぼが広がる農村の大自然が背景に描かれる。田んぼと関連性がある時期と場所を背景に展開されるストーリーの映画において、主人公の名前が5月と関連のあるサツキとメイであることは、宮崎駿監督もしくはスタジオジブリのメンバーによるすばらしい設定だと感じている。

 他にも昭和が色濃く描かれていて面白い。サツキとメイが転居してきたお風呂はいわゆる五右衛門風呂だ。風呂釜の底の部分がが熱いので、すのこを用いないと火傷をしてしまうのは知っていても、私自身使ったことがない。あとは、庭に面するところに引き戸があり、そのカギはくるくる回してカギを掛けるタイプのもので、これは私の子ども時代にも存在したので懐かしい。当時、電話のない人への連絡は、電報が最速の手段だった。電話が普及していない時代には、親類の危篤や重要な出来事を知らせる緊急連絡手段として使われていたが、現代では電報を使うのは結婚式のお祝いのメッセージとしてくらいだろうか。電話も現代に比べれば人力が介在しないと繋がらない不便なものだった。七国山病院からの電報を受け取ったサツキはカンタの本家に連れて行ってもらい、お父さんに電話をかけるシーンがある。

 いずれにしても映画『となりのトトロ』から学べることはたくさんある。スタジオジブリの手がける作品には、自然環境の大切さや時代背景の描写の素晴らしさが感じられるからだ。機会があれば、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』などの作品についても書いてみたいと思っている。



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