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誰かの靴を履いてみよう~同情・同感ではなく共感を~

 正確には 英語に「相手の靴を履く(stand in someone’s shoesとか Put yourself in someone’s shoes)」という表現がある。正確には「自分で誰かの靴を履いてみる」ということなので、日本語にすると「他人の立場に立ってみる」「相手の視点から眺めてみる」「相手が感じるように自分も感じてみる」という意味にとらえるべきであろう。


 私は、子どもの気持ちを汲み取ったり、理解したりする過程で、人間の知覚・感覚では、相手の気持ち・感情を正確に観る、測ることはできないと考えている。講演の機会をいただくと、目の前にいる子どもたちは一人ひとり異なるので、多角的な視点や方向から、目の前にいる子どもを観る必要があると伝えてきた。そして、子どもに同情・同感するのでなく、子どもの体験や感情をありのまま受け入れること…つまり「共感」が大切だと考えている。


 イギリスに住む著述家のブレイディみかこさんは、イギリスでの思春期の子育てについて書いた話題の本『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で、学校で「エンパシー(empathy)とは何か」という問題がでて、その回答として「自分で誰かの靴を履いてみること=他人の立場に立ってみること」と書いたという話だ。「エンパシー」(empathy)は日本語では「共感」と訳される。「共感」は「同情」「同感」とは全く異なる。


 私は、尾木直樹氏の考え方を学び、子どもの養育や保育、子育てに関わる人たちに対して、この3つの概念を以下のように伝えている。
「同情」: 相手の感情とは関係なく、相手の話を聞き、自分の中に起こっ
     た感情を相手に当てはめること。「かわいそう」と思うのはあく
     までも自分の感情で、相手の気持ちではない。

「同感」: 相手の感情を自分の経験から推測すること。
     「私の場合は…。」というのは本当の理解ではない。


 「同情」も「同感」もどちらも、本当には相手の心に寄りそえていない。


「共感」: 自分の感情や経験から判断するのではなく、相手の体験や感情
     をありのまま受け入れようと追体験すること。共感してもらうこ
     とで、相手の心が元気になる。


 「共感」とは、相手の立場に立って、その人が今どんな風に感じて困っているのか、あたかもその人自身であるかのように体験する能力のことである。これが分かると、子育てにも日常のコミュニケーションにも大いに助けになる。子育てに限らず、人との対人関係を良好に築くためにも「共感」する力が必要だ。


 SMAPの代表的な曲『世界に一つだけの花』には、「ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」というフレーズがある。「特別なオンリーワン」になればいいんだよと言われても、それがプレッシャーになってしまう人がいるかもしれない。一生懸命目指そうと努力しても「オンリーワン」になれない人もいるだろう。私自身は広い社会の中で「オンリーワン」になる必要も、「オンリーワン」だと認めさせる必要もないと考えている。

 ごく身近な家族や友人、地域の小さなコミュニティの中で、自分にとって大切だと思う人たちにとっての「オンリーワン」になればそれで良いのだ。自分に近しい人のためなら、同感や同情ではなく、その人の立場に立って「共感」することはそんなに難しいことではないはずだ。

 しかしながら、世界を見渡せば、戦争や紛争に苦しむ人、飢餓や貧困にあえぐ人がたくさんいる。世間に目を向ければ、格差社会の下の層に追い込まれ、ワーキングプアと呼ばれる人、ワンオペでの子育てに心身ともに疲弊しているお母さん、学校の給食が一日の唯一の食事になっていたり、親から身体的・心理的虐待を受けたりして苦しんでいる子どもたちがたくさんいる。

 
 残念ながら日本は「相手の靴を履いてみる社会」にはなっていない。日本の社会そのものが「共感力」を失いつつあるように感じている。日本の社会そのものが共感力を持たなければ、個人が対人関係の中で「共感する力」を育むことは難しいのではないだろうか。

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。