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エンジンはもうかかっている


 私の「生きる」エンジンは今もかかっている。それは突然かかったというより、静かに立ち上がったような感覚だ。
 「#エンジンがかかった瞬間」を思い起こして、見えてきたこと書いてみた。
目次
 ・1995年1月17日
   ・非日常と日常の間を歩く
 ・エンジンがかかった瞬間

※注 この文章には、震災に関する記述があります。


1995年1月17日


 私が、「エンジンがかかった瞬間」で思い出すのは、砂埃の舞う、だだっぴろい道路と、そこを歩く自分。1995年の、早春の頃のことだ。

 1995年1月17日。古びた木造のアパート。大学生だった私は、下から突き上げられる衝撃で目覚めた。
 そのあと、強く大きな揺れがきた。暗闇の中、手探りで友人を探す。揺れが収まった時、「大丈夫?」とすぐ隣で声がした。「ライターつけようか?」と向かいの友人が言ったが、シューっという音が聞こえたので、慌てて止めた。「ガス漏れてる。懐中電灯つけるわ。」
 まだ寝ぼけて「置いていってー」などというもう1人の友人を、3人で引きずりながら、ところどころ穴の空いた廊下を進み、歪んだ階段を降りて、外に出た。
 すでに、沢山の人が道路に出て、身を寄せ合うように立っていた。皆、何が起きたのか、誰も分かっていないようだった。
 6時ぐらいに、誰かのラジオがついて、そこにいた皆で、神戸にとても大きな地震が起きたことを、知った。空を見上げると、雪がちらつき、誰かを助けにいく人の声が聞こえた。ふと、路肩に停めていた友人の車が目に入り、私たちは何を言うこともなく、シートに飛び散ったガラスを掃除して車に乗り込んだ。

 歪んだ高速道路。空を覆う煙と透けて見えた太陽。道路一杯の車。全てのペーパーホルダーが空で、全ての便器に便が入ったままの高校のトイレ。テレビで流れる市場の火事と折れた道と公共広告機構の映像の繰り返し。

 私は、友人と、無事だったクラスメイトの家を転々とした。オーブントースターで餅を焼いてもらったり、洗ってない米を炊いて、皆で「あんまおいしくないねー」と言いながら食べたり。友人と、自分の部屋に、通帳や印鑑を取りに戻ったら、中はぐちゃぐちゃで、実習レポートを書くのに使ったワープロは、無くなっていた。

 地震のあった日から3日目、同郷の先輩が、地震で亡くなった知らせを聞いて、私は実家に戻ることにした。電車の動いているところまで、車で友人が送ってくれた。大橋を渡る電車の中で、私はひたすら泣いていた気がする。

 神戸の街で復旧作業が始まって暫くして、私は、神戸に戻った。学校は再開したし、3月の資格試験も予定どおり実施されるからだ。地震の被害の少なかった地域の遠縁の方の家に、試験までいさせてもらえることになった。

非日常と日常の間を歩く

 その後、少しずつインフラが整備されてきたが、建物や道路、電車は、復旧までとても時間がかかったように思う。テレビは普通にCMもお笑い番組も流れていたけれど、「普通の日々」は、まだまだ遠い気がした。

 り災証明書は、自分で貰いに行かねばならなかった。貰うために、私は一人で朝6時から市役所前に並んだ。私がついた時は、長蛇の列が門まできて、建物は遥か遠くに思えた。知っている顔は、誰もいない。真っ暗で寒い中、震えながらたっていると、平べったいケースを持った人が後ろからやってきた。「パン食べるー?」
 並んでいる人に、無償でパンを配っておられたのだ。別の人は、足元に敷いたら良いよ、と段ボール箱のたたんだものをもってきてくれた。

エンジンがかかった瞬間

 道路や電車の復旧までは、みんな歩いて移動していた。土と石が剥き出しで、黄色と黒の縞模様で区切られた荒野。アスファルトが無いと、こんなに土埃が舞うのか、と改めて知った。
 普段は電車で通り過ぎていた街を、歩いていた時、ふと、生きていけるかもしれない、と思った。

 子供の頃から今まで、家族の中、家の中、学校の中で生きてきた。臨床実習で知らない病院で働いても、一時的なものでしかなく、ひたすら緊張して終わっていた。
 こんなんで、社会にでられるのか。理学療法士として、やっていくの?
 そんな不安がずっとあったのだが。

 地震の瞬間で全てが変わったとは思わない。むしろその後の、手探りで前に進む体験、知らない人との関わりが、自分の「生きていく」エンジンに繋がった気がする。

 その後、試験に合格し、就職し、今も働いている。常に前向きかというとそうでもない。明日終わってしまえばいいのに、と思うこともしばしばあった。けれど、死を意識するほど思い詰めた時、自分の奥底から、ぴょこんとでてきたのだ。「何でそんなことで死ななあかんねん。」という声が。

 私の「生きる」エンジンは今もかかっている。それは突然かかったというより、静かに立ち上がったような感覚だ。やる気満々の時も、ものすごく凹む時も、私のエンジンは切れず、アクセルやブレーキをかけているだけだと思っている。

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