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砂漠と村人たち

どうもしばらくは国外を旅することが叶わなさそうなので、記憶の整理と共に昔の旅を写真を眺めることが増えた。
もう二度と訪れることがない場所、不確かではあるがもう一度行く機会がありそうな場所。共通しているのは両者共に過ぎ去ってしまった過去であり、いくら望んだとしても「二度と戻れない」という事実だけだ。

沢山のシーンをスクロールしながら走馬灯のように眺めている時に、一際惹かれる写真があった。
場所はインド西部にあるクーリーという名の砂漠の村で、すぐ近くにはパキスタンとの国境がある。
ラクダに乗って砂漠へ行き、一晩キャンプをするツアーが出来ると観光ガイド誌に小さく書いてあり、ジャイサールメールという街から荒野の道をただ走るだけのバスに随分と長く乗った場所にあるオアシスのような場所だった。
そもそもの旅のきっかけはandymoriというロックバンドの「青い空」という曲の一節「ジャイサールメールにはドロップキャンディーの雨が降る」という歌詞で、それを初めて聞いた高校生時代は「ジャイサールメール」をどこか架空の場所だと思っていた。
数年の時を経て現実に存在するジャイサールメールに訪れた僕は飴玉のような雨を浴びることは出来なかったものの、とにかく西へ西へ進み、砂漠を目指した。

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村の近くでバスを降りた瞬間、辺りに何もなかったことを今でも鮮明に覚えている。

つまり商店や住居の影はとても見当たらず、そもそも降ろされた場所にバス停すら存在しなかった。
どこへ続くのか分からない大きな道路だけが地平線の向こうまで伸びていて、バスの姿はどんどん小さくなっていく。
何となく「バグダットカフェ」という映画のことを思い出していた。

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ジャイサールメールまでの帰り方も分からず、しばらくその場に立ち尽くして途方に暮れているとスクーターに乗ったおじさんが通りかかり、声をかけられた。
「砂漠を見に来た。ツーリストだ」というと、「見れば分かる。俺の家に泊めてやるよ」と言った。

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おっさんのスクーターの後ろに乗っけてもらい、辿り着いた先は家族経営のゲストハウスのようだった。
僕は物置小屋のようなベッドが一つだけあってあとは家財で埋め尽くされた小さな空間に案内されて、お金や食事の説明をされた。
宿泊代金はおっさんの言い値でOKしたが、確か朝食と夕食がついて300円程度だったことを覚えている。

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外は日本の夏よりほんの少し暑かった。ドアを開けてぼんやり本なんかを読んでいると四六時中おっさんの家族が農具や調理器具を取りに来た。
iPhoneとiPodTouchを同時に充電していると、おっさんの息子に絡まれ「二つ持ってるんだから一つくれ」と懇願された。
僕は「残念ながらそれは出来ない」と何度も断り、スピーカーで流したジミ・ヘンドリクスやディープパープルを二人で聞いた。語弊を恐れずに言うと、この世界にはビートルズやローリングストーンズの曲が一度も流れることなく一日が終わる空間が存在しているということだ。

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夕方にはキャメルツアーがスタートした。
砂漠といえば大好きなスターウォーズ のイメージが強く、タトゥイーンのような圧倒的な砂を想像していた。
あるいは安部公房の「砂の女」のような無機質なイメージ。そこには非情さがあると思っていた。
ところが僕の砂漠は風の音だけが聞こえる静かな場所で、小さな虫や見たことない苔のような植物を沢山見かけた。

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ツアーの参加者は偶然にも僕ともう一人の日本人だけで、久しぶりに日本語を使って会話をした。
聞くところによると僕よりも二回りくらい年上で、大学時代にニュージーランドに留学していたと言っていたが、それは真実か否か分からない。
インドに埋没した旅行者にありがちな、ドラッグで自己破壊を終えてしまった後の成れの果てのような姿で、正に世捨て人という形容が相応しく、何だか魔術の類に精通していそうだった。
男に人生最高の本のタイトルを聞くと、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」と言った。
僕はその時、人生における強烈な運命の存在を感じざるを得なかった。なぜならその男に出会う前に唯一インドで話をした日本人も同書をフェイバリットに挙げていて、数日間共に旅をした後の別れの際に餞別として何度も読み返した跡のある大切な文庫本を譲り受けており、ちょうどナップザックの片隅に存在していたからだ。

「満点の星空が見える」と聞いていた砂漠の夜だったが、その日はたまたま満月の日で星は見えず、月明かりが砂丘に巨大な影を作っていた。
風が止み、砂が固まった音のない世界はまるで時間が止まってしまったように美しかった。
一度パーティから離れてしまうと目印のない砂の海の中で迷子になって、もう二度と合流出来なくなる気もしたが、その神秘性に引かれしばらく真っ直ぐ夜の砂漠を歩いた。月光だけで遠くが見渡せるほど明るく、何もかもが鮮明だった。
砂上には己の影が焼き印を押されるように濃く映り、自分の一挙一動が月明かりによって完全に複製されていた。砂の丘を覆うくらいの巨大な月を眺めているうちに、人生ではじめて「清める」という感覚を知った。その光を浴びているだけで、不思議と心が安らぎあらゆる悪行が許される気がしたのだ。

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翌朝、砂漠の真ん中で食事を済ませた後に再びラクダに乗って村へ戻った。
同じ島国で生まれた魔術師の男とは小さな村だし、また会えると思っていたが、遂にもう一度会うことはなかった。

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去り際に僕をスクーターで拾ったゲストハウスの家主は「日本でこの場所のことを宣伝してくれ。前の宿泊者はブログに書くと言ったからお前もそうするんだ」と言い、写真を撮らされた。
正直この写真を見るまで、その約束をすっかり忘れていた。だから数年の時を経て、彼との約束を守ったことになる。
クーリーというインド西部にある、パキスタン国境沿いの村で、ジャイサールメールからバスに乗って行くことが出来る。

思えば砂漠で体験した幾つかのエピソードとも、長い間離れ離れになって生きていた。
段々と当時のことを思い出す回数も減り、記憶は薄らいでいく。
いつか質感すら忘れ、全てが砂に飲まれてしまうのかもしれない。
だからその片鱗を覚えているうちに文章にした。

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