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太陽が西から昇ってくる

遠い昔、学生時代に、こんな話を友人にしたことがある。

宇宙の法則が、次の2通りのうち、どちらかだったとする。
(A)いつも、太陽が東から昇る。
(B)本日(2024年3月7日)の朝までは、太陽が東から昇る。明日(2024年3月8日)からは、太陽が西から昇る。 

さて、本日現在が2024年3月7日の昼だとして、(A)と(B)の2通りの法則のどちらが正しいか、判別できるだろうか?

本日現在が、3月7日の昼だとすると、(A)と(B)の法則の結果は、観察からは区別できない。

だから、(A)が確実な真実であるという確証を持つことができない。実は(B)である可能性が常に残っている。

かりに、3月8日の朝になって、太陽が東から昇ってきたにしても、それで、(B)は否定されるかもしれないが、日付を1日翌日(3月9日)にした、(B')[Bダッシュ]という新たな法則を考えることができて、以下同様となる。

つまり、いつまでたっても、(A)が確実な真実であるという確証を持つことができない。このため、(A)は確実な真実になりえない。

科学における言明というものは、この例と同じように、決して確実な真実にはなりえない、ということがわかる。

以上のような趣旨の話を友人にしたことを記憶している。当時、その人は、あまり、納得してくれなかったけれども。

さて、前回の記事「私の推論が妥当性であることを、どうやって検証するのか」の中で、飯田隆『規則と意味のパラドックス』(ちくま学芸文庫)を取り上げたサイトを例に挙げた。
『規則と意味のパラドックス』が超絶的に面白い: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (cocolog-nifty.com)

この記事の前半部分で述べられているクワス算についての議論は、上の、「太陽が西から昇る」議論の形式と、とてもよく似ていることに気が付いた。

当該のサイトの記事(というより、『規則と意味のパラドックス』)は、クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』やウィトゲンシュタイン『哲学探究』なども元になっているようだが、本が読むのが苦手な私は、これらの著作(『規則と意味のパラドックス』を含め)を読んでいない。『哲学探究』は、学生時代に、ウィトゲンシュタイン全集のうちの1冊(たしか、8巻目だったと思う)を購入して、書架に入れてあるだけである。

しかし、今回の当該サイトの記事をみて、私が昔、友人に話したことを思い出して、それで、(昔からもそうだったが)今となっては、これらの著作を、あわてて読む必要はないのかな、と思うようにもなった。いずれにせよ、たとえ、あわてても、まず間違いなく、ほぼ決して読めないのだけれども。

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