見出し画像

事前に配られた資料を朗読する究極に無駄な時間〜何も起きてほしくない事務局と、資料すら読まない偉い人〜

これは現場の人を別に糾弾するつもりはないんだけど(といいながら、議論をしてほしくないという理由でわざとやっていると思う時もあるからそれはナイわーと思うけど)、配られた資料を会議の冒頭に1時間近くかけて事務局が説明を続けるアホな時間。本当に無駄だなと思うことしきりでございます。

テレビ会議になって事前に資料を送ってきているのに、その説明を会議でしてくださるということもまた、大変びっくりします。

なんか昔から識字率が高く、勤勉な国民と言われたりしている日本人ですが、まともに皆さんいい年齢になっていて、大学まで教育投資を受けてきている人ばかりの会で、なぜすでに文字になったまとまっている資料すら説明をしなければならないことが常識?になっているのでしょうかね。それぞれが集中して読めば15分程度で終わるものを、朗読すれば1時間かかったりします。2時間の会議で1時間が朗読で終わったりするのです。まともな議論なんてできませんよね。それぞれが一言二言話して終わりになります。

まぁ摩訶不思議すぎるのですが、ある意味では合理的なんですよね。何も起きてほしくない事務局と、資料すら読まない偉い人にとっては。

○ 朗読しているうちは何も起きないから楽

何も起きてほしくない、つまりは時間切れで会議をさっさと終えたい事務局のような人たちにとっては、議論の時間は短ければ短いほどいいのです。2時間も真剣に議論されたら、本当の筋書きとは異なる意見で展開されることも大いにありえます。そうすると、事務局が準備した内容では収まらず、さらに仕事をしなくてはならなくなることも多く出てきます。

嫌ですよね。仕事増やしたくない、調整業務はもうやりたくない人たちにとっては、もともとの筋書き通りに進んでいくのが。さらに説明を最初の一時間やったほうが「丁寧だ」とかいうアホな偉い人も出てくるのです。

「説明しなければわからないだろ!!」とかいう偉い人って勘所もわかっていないし、細かな資料も読んで理解する力もなかったりするんですよね。本当にこまった人がいるのです。

○ 資料読まなくていいから楽

本当にアホな偉い人というのはそれなりにいまして、資料とか全く読まないんですよね。口を開いて言うのは「この資料はわかりにくい」だの「文字が小さすぎる」だのどうでもいい些末なことをあれこれグタグタいうだけで、内容面でシャープな質問とか全くしないんですよね。

で、朗読された資料について、1つ、2つ、Twitterのツイート以下の短文のお話をされて終わり。それでお役目が終わり。まぁそのほうが楽なんでしょうが、全く議論にはなりません。

参加者同士の意見とかのぶつかり合いとかなくて、単にそれぞれが意見をいって終わり。

で、最後には「座長一任で事務局が整理します」みたいなお話になったりするのです。は? その会議なんのため、というところです。

○ 真剣にやろうとする人がバカをみる

単刀直入にいうと、本気の人はそういう人ばかりが集まる場には極力近づかないほうがいいなと思っています。

なぜならば本気の人間にとっては無駄な時間だし、下手にそこであれこれいうと迷惑がられるからです。適当にその場をやり過ごすことが仕事だと思いこんでいる人たちにとっては、真剣に事前に資料なんてものは読み込んで、ガチで2時間の議論をするなんて場になることは望んでいないのです。

そういう人たちになんでこんなことやってんだ、とか言っても、逆に何を真剣にそんなにやろうとしているの、こういうやり方が常識だよーん、みたいな感じだったりするので、ほとほと疲れるので付き合うのをやめるのが一番ですね。

○ 真剣な人は資料は読むし、テキストベースで議論もできるし、会議ともなれば具体的な意思決定をする

本気の人は事前に資料とかは共有して読み込んで、下手すれば会議すらいらなくて、チャットとかであれこれとテキストで議論を深めていって、実際にう集まる時はなにかを始めるとか、やめるとか、具体的な意思決定をするものです。

大抵の打ち合わせなんてテキストチャットでどうにかなることばかり。実際に皆で時間をあわせてやるものは相当に意思決定などをするとか、重要なゴールを意識してやるべきなんすよね。リアルタイム型のテレビ会議にこだわる人というのも本当に今となってはマイナスになっていますね。

危険な時間泥棒会議を回避しながら、自分でのプロジェクトワークについての効率性をどんどん考えていく必要がましてきているなーと感じています。

○ amazon流会議に学ぶべきこと

以前まとめたamazonとかのストイックな会議の方法とかって私は十分に見習うべきだと今でも思います。不必要な資料はいらないし、資料は最初に読み込むので良い。むしろポイントや決めることがわからない会議こそやること事態が悪。

やばい会議に時間とられるのではなく、生産的なワークに注力していくことが大切。なぜか地域活性化とか、まちづくりは、そういうどうでもいい儀式的な会への依頼が増加しがちですが、思い切って断ることのほうが私はパフォーマンス上大切だと思っています。

なにかそういう会議で、立場をもらうと偉くなった気持ちになって、物事決められそうな気になりますが、そんなことはないのであります。それもまた「幻想」なのです。


ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 500

サポートいただければ、さらに地域での取り組みを加速させ、各地の情報をアップできるようになります! よろしくお願いいたします。