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質疑応答といっても、持論を展開してマイクを離さない人に時間泥棒されないための対策

様々な勉強会とかの最後に質疑応答という時間が設けられるのですが、そこでまともに建設的な議論が成立した試しがありません。これはもともと質疑というもの自体に慣れるような経験や教育を我々が受けてきていないことにも依存します。質問=口答え、のような感じになったり、授業でわかりませんとか言おうものなら「先生の教え方ではわからない」という反旗を翻すかのようなイメージに捉えられたり、あいつだけバカだみたいなふうに絵も割れたりとかリスクを感じて質問をしない。質問が出ないという場=しゃんしゃんで終わるのが素晴らしい場、というような考え方がどこかにあったりして、結局ほとんどの人は質問をしない。

でもって質問する人の多くは質問ではなく、「持論を展開する」という、ほとんどご高齢の方が多くします。つまり今日の話を受けて適切な質問をするということがほとんどできない人が、単に自分の話を聞いてほしいというような具合で持論を展開してみせるのですが、そんなもの会場のほとんどの人は聞きたくありません。聞きたければそもそも登壇者に設定されるわけですから、そこで持論は言うべきではなく、ちゃんと会場全体の理解をアップデートできるような質問で貢献しなくてはなりません。

そもそも質疑応答とは自分がわからないことを聞いて満足するという機会ではなく、その場にいる全員にとって新たな観点であったり、聞きたい補足ポイントというのを改めて登壇者に話してもらう機会であるというのを理解しなくてはなりません。自分に与えられた時間だと勘違いしているので、こういうおかしななことが起こるのです。

○ なぜ無駄な質疑は良くないか

そもそも、その場の全員がたいして聞きたくもない高齢者の持論展開が良くないかと言えば、そこに100人の参加者がいて5分の持論展開をされると、500分の時間リソースが無駄に使われるからです。

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