リアコの自分を許せなかった

アイドルを推し始めてから、

「リアコ」という言葉を知った。

上記リンク・Oggiの記事で説明してくれているが、

「リアコ」とは「リアルに恋してる」の略語です。「リアコ」の「リア」はリアル、「コ」は恋を示しています。そして、「リアコ女子」は自分の推し(応援している相手)に恋心を抱いている女性のことなのです。

その他(”ガチ恋との違い”等)合ってるような合っていないような感覚が

自分的にはするので参考程度に。


私は小学生の頃から「リアコ」だったと思う。

(もちろん当時、そのような言葉は無かった)

ある男性アイドルを応援していて、

現実に会いたいとは思っていなかったけど、

こういう人が彼だったら良いなぁ~と憧れていた。

彼が出演するドラマもバラエティも見て、

恋する思いを日記に綴っていた。

心の支えだった。

でも、やはり「会いたい」「現実的に付き合いたい」まではない。

妄想の種レベルだ。

だけど、熱愛報道が週刊誌に出た時は、ショックだった。

彼には誰とも付き合ってほしくないと思っていた。


その後も私には代わる代わる

心の支えとなる憧れの人(芸能人じゃない人もいた)が存在した。


大学生になったころ、周りが恋愛をしていく中、

私は二次元のような世界から抜け出せず、

憧れの人を心の支えにしていた。

「私だって彼のような人が現実に居たら、恋できるのに」と思っていた。

たんに、容姿や才能だけではない。

にじみ出る真面目さ、仕事に対する情熱、

落ち着いた雰囲気などが好きだった。



一方で、普通に恋愛できない自分は遅れていて

ダメ人間なんだと思うようになっていた。

今でこそ「リアコ」のつらさは

ネット上で共感を持ってもらえるかもしれないが、

なかなかそういう話ができる相手もいなかったし、

恥ずかしいことだった。


Oggiの記事には

ただの憧れだけでなく、目当ての相手と本気でお付き合いや結婚をしたいといった感情を持っているのが特徴。

と書いてあるけれど、

本気でお付き合いや結婚をしたいというほどでもなかった。

想像はするけど、現実には無理だと分かっている。

実際に会えたとしても、何から話せばいいか分からないし、

私のことを彼は何も知らないわけで、好かれるわけがないと分かっていた。


と、いまだ自分が「リアコ」であったことを認めるには抵抗がある。

もしかしたら、本気で付き合いたい・結婚したいぐらい、

感情としては好きだったのかも。

行動は伴わないが、感情的には。



この記事を通して何を書きたいかというと、

自分の気持ちを恥じないで認めよう!

ということだと思う。


誰かに発表しよう!ということではなくて、

「リアコでもいいんだ。」

「それぐらい大好きなんだよね!」

自分で自分の気持ちを認めてあげたらいいね、ということ。

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