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猫から学ぶ死ぬということ

猫のいる幸せについて語ろう。
そういう時はタイトルに「死ぬ」ことなんて普通はいれないもんである。
だが、猫は私たちより先に亡くなる。
寿命が先に来る。
飼えば死を見届けることになる。

だから死を語らずに猫のいる暮らしなんて書けないし、死を意識せずに得る幸せなど、ほとんど無いかもしれない。

そんな私は3匹の猫を飼ったことがある。

3匹の猫たち

1匹は今かろうじて生きてくれてるが、そろそろ寿命を迎えそうなピチピチ女子の21歳。3月に22歳になれるので、人間年齢にすると100歳〜104歳らしい。
名前はのんの。
貰ってくる前に、母が写真を見て適当に決めた。

当時私は専門学校に通っていて、友達グループの1人が「猫を貰ってくれる人を探している」という。
聞けば親戚の子が連れて帰って来てしまったものを親御さんが困り果て、トラックの荷台に閉じ込めておいたらしい。
寒く暗い場所に放置されていたのを助け出し、1匹は自分が飼うという。
兄弟猫たちの貰い手はつき、最後に残ったのが、のんのだった。

↑猫と華のLINEスタンプ発売しますので宜しく↑

余ってる猫というのは、大抵いちばん可愛くない。
あるいは不健康で弱々しい。
元気で可愛い子から貰われていく。
哀しいが、それが定説である。

なので、その話を聞いた時から、
「きっと可愛くないのだろうなあ。あるいはすぐ死ぬかもしれないなあ」
なんてことを考えていた。

「すぐ死ぬかも」
そう考えたのは、この話が来る1年前に子猫を看取ったからだ。

その男の子の名前はむさし。
歩道でフラフラになって蛇行、憔悴しきっていたのを母が抱き上げた。
私は「ありゃ、ダメだな。死ぬな」と通りすぎるつもりだったので、その行動には驚かされた。

「ちょ、ちょ、なんで捕まえちゃうのよ!
いや、お前も何を人間に簡単に捕まっちゃってるの!」

「だって可哀想じゃない😠」

母は猫に弱い。猫に甘い。真の猫好きである。

フラフラして道路で轢かれたらどうするのだと言う。
だが私たちは仕事に向かっている最中で、ここで確保したってどうしょうもない。どうする気なんだ。

「家に戻って、部屋の一角に閉じ込めて段ボールに入れておきましょう」

マジか。マジかこの人。

脳裏に過ぎったのは、その時に飼っていた長女猫の「えみり」のことだ。
えみりは9歳になっていた。
当時、猫の寿命は10歳などとする書籍が多かった。
15歳まで生きればご長寿猫認定されたし、寿命の伸びた今でも10歳ともなれば初老だ。
大切にしなくてはならない年齢だ。

歩道でフラフラしてる、なんの病気を持っているかわかったもんじゃない猫を連れて帰ったら、危険なのは言うまでもない。
感染症の恐ろしさは、皆様にも経験があるだろう。
野良猫なんてほとんど皮膚病を患っているし、えみりに何かあったらと思うと無責任に連れて帰れない。

「じゃあ、またここに放せっていうの?!」
母と押し問答になった。
私から見たらもう死ぬ猫だ。
是非そうしてもらいたいぐらいだ。
当時、私には、えみりのほうが大事だった。

えみりは私が10歳のころ我が家に来た。
初めて飼った女の子である。
その頃うちは両親共働きで、帰宅しても誰も居なかった。

3つ離れた兄は部活を始めたり思春期まっさかりで、妹の相手なんてしなくなっている。ちょっと可哀想かも。
そんなことも考えて、両親が貰ってくることにした猫だった。

まあ、上記のような理由はとってつけで、元々猫好きな母なので、猫を飼うタイミングがその時だったに過ぎない。

そうして、ちゃんと計画的に貰った猫だった。
家族と譲渡会に行き、数ある写真の中から選んだ。
当時の譲渡会は今ほど盛んではなく、規定なども特になく、譲渡側と貰い手が直接連絡を取りあって、相談の上、ご縁があれば成立するものだった。

生家からリボンとモンプチ2ダース付きで嫁入りした、箱入り娘のえみりは、耳も目も大きく器量良しで、所作も美しい子だった。

だが、初めて飼った猫は、しばらくの間は子供たちの絶好のオモチャだった。
結構かわいそうな目に沢山遭わせた。
例えば、布団の上に落として着地するところを楽しんだり。
掃除機を嫌がるので、半笑いで吸おうとしたりだ。
えみりはよく、毛を逆立てて恐怖していた。

当然、猫好きの母にむちゃんこ怒られたが、10歳の私は意に解さなかった。
一緒に遊んでいるつもりなのだからタチが悪い。
猫のほうも乱暴な子供達を嫌いになる。

えみりは子供の手が及ばない高いところに避難して、常々人間を見下ろす猫になってしまった。
「高いところに登るのが好きね」
なんて言っていた自分が恐ろしい。

まあ、それから私もどんどん大人になって、19歳にもなれば自分のしたことの罪も罰も認識できるぐらいには成長していた。

猫との暮らしは野蛮な子供に愛や情を教える。
かもしれない。
猫には良い迷惑でしかないが。本当にごめんと今も謝り続けている。

ともかく、そうして、えみりと築き上げた数々のストーリーがあった私には、むさしを飼う意思はその時点では無かった。

とはいえ抱き上げてしまったものは仕方がない。母との話し合いの末、えみりの近づかない場所に閉じ込めておくことした。
仕事が終わり帰宅したら、すぐ獣医に連れて行き、2匹はしばらく会わせない。
そして貰い手を探す。

それぞれの寿命

むさしを飼う気は無かった。
が、世話を始めると人情がわいてきてしまうものだ。
当時近くにあった獣医は野営病院のような場所だった。
設備なんてほとんどなく、古くて汚い建物。知識にはカビが生えて、蜘蛛の巣が張っているのではないかと疑わしい、老人医師が一通り検査をしてくれた。

皮膚病などは無く、健康状態は悪くないと言う。
ノミがついているが、まだ生まれて3ヶ月ぐらいだろうから、駆除剤はもう少ししてから飲ませようという。

当時何の知識もなかったので、皮膚病じゃなければ感染病もないと思った。
医者も何も言わなかった。
「家に猫が居ますが大丈夫でしょうか?」
「まあ、最初のうちは喧嘩するかもしれないねえ」
なんとも参考にならない。

自分達で調べるしかない。
帰宅して、子猫を段ボールに戻し、ごはんを与えた。
ムシャムシャとよく食べる。

尻尾の切れてる子だった。
元々短いのか、切れちゃったのかわからない。
はじめての男の子だったので、体の構造が興味深い。

むさしは無邪気そのもので、無茶苦茶に人懐っこく、誰から見ても可愛い猫だったと思う。
「それで、どうするの?」
「もう飼っちゃえばいいじゃない。可愛いし」
「今は可愛いけど、大きくなったら乱暴なオスネコになって、えみりと相性悪いかもしれないじゃない」
「わかったわかった。貰い手をどう探すかネットで調べてみよう」

反対派の私と、どっちでもいい家族と、飼いたい母。

「いろいろ調べたけど、手続きが面倒」

一応わたしも周囲の人間に飼えないか聞いてみたが、軒並みアウトだった。

そうこうして3日も経つと、もうむさしは我が家のアイドル猫と化していた。
久しぶりの子猫。
寝かたが上の子と全く違う。
人間の体の上に乗って、突然スイッチが切れたようにフニャフニャ眠る。
乗っかられた人間はその温もりから逃れられない。

首の間、足先、腕の上、巻きつくように眠る。
変な子だ。男の子って、こんなものなのか?

猫と言っても全員別の個性を持っているということをむさしは教えてくれた。

えみりの神経質で繊細な、尻尾まで行き届いた美しい動き。
むさしの振ることもできないチョコっとついた尻尾に、好奇心旺盛な振る舞い。

2匹の相性は悪くはなかった。
むさしのほうが美人なお姉さんに遠慮がちだった。
甘えたい気持ちはあるらしく、一定の距離を保ちたいえみりに対して、付かず離れず絶妙なポジションをとった。
2匹は互いを気にしながら生活圏を分け合っていた。

それから1ヶ月半。
どんなオスネコになるかなど楽しみにしていた矢先、むさしに病状が出た。
医者はてんかんだと言った。
薬で病状を抑えれば長生きできると聞いた。

そこから毎日薬を飲ませた。
てんかん発作は続いた。薬が効いてるのか?疑わしい。
他の病院のほうが良いのでは?
脳の検査ができる設備のある場所となったら、車で2、3時間かかるような病院しか見つからない。

夜中に何か起きたら?
怖くて、夜間病院に電話で問い合わせた。
親切に色々と教えてくださった。
もしかのときは2時間かかっても連れて行こう。

きっと長生きしてくれると思い込んでいた。
亡くなったのはちょうど2ヶ月経った頃だった。
何もかも突然で、なんの心の準備もしていなかった。

大切な誰かを亡くすと、胸にぽっかり穴が開くと言うが、それは本当だった。
夏場だったが、スースーした冷たい空気が通り抜けていくのを感じた。

家族も泣くのを堪えたり、それぞれが喪失を味わっていた。
猫の遺体は獣医から返された。
死ぬ時に家には居なかった。
医師が「もう亡くなるから、家で看取るのは大変でしょう」と、連れて行った父から引き取った。

私は父を責めてしまった。
「もう亡くなるなら、なぜ置いて帰ってきたりするのか!」
不毛だった。

固まった遺体は青いビニールシートに包まれ、四角の箱に丁寧に入れられていた。まだ、こんなに小さいのになあ。
不思議なことに遺体からは悲しさを感じなかった。
むしろ初めて触る家族の亡骸に、関心してしまった。
「うわあ……なんかこれ、剥製にそっくり」

もうそこにむさしは居ない。
ペタンコになった亡骸は別の何かに感じられた。

2度目の死

のんのが家にやってきた。
小さなスカーフを付けて可愛さを演出していたが、写真で見るより酷い顔だと思った。目の周りが黒ずんでいて、狐のように尖った顔に、黒目は常に縦一線で、恨んでいるように見える。額の模様も相まって、「般若みたい」というのが第一印象だった。

貰うとは言ってない。
「えみりとの相性を確かめさせてほしい」
お試しで預かることにしただけである。

のんのは貰われてくる前に一通り検査を済ませていて、健康優良児だった。
声が高くて無駄に可愛い。
大変に失礼なことだが、見た目は女の子に見えない。
腕が大きくて短足でマンチカンになりかけてないか?と思った。
動きも雑だ。太々しい。
来た途端に足元でウンチをしていた。大物である。

だが人好きなのはむさしと同じで、来てからずっと側に居た。
猫には初めて来た場所を確認して歩く探索行動があるものだが、いつ始まるのだろうか。
見た目と違ってわりと臆病な猫なのかもしれない。

のんのとえみりは相性が悪かった。
のんのは遠慮しないどころか、やたらとチョッカイをかけに行く子で、10歳になるえみりには負担が大きく、2匹は喧嘩というか、なんなら大人のえみりのほうがイジメられていた。

のんのは叩くが、えみりは優しいからか手を出しても宙をフリフリするだけで、相手に当てたりしない。
それを面白がって、のんのが調子にのる。
2匹を引き剥がし、えみりを守る日々が始まった。

しかし、その光景は私が子供の頃に、えみりにしたことそのままだった。
のんのの気持ちもわかる…が、えみりを優先的に守りたい。

距離感の近いのんのを嫌がって、えみりは高いところへ逃げる。
人間の子供と違って、のんのは付いていけるので、2匹は追いかけっこになる。
家中をドタバタ走り回って、互いにいい運動だったろう。

えみりはのんのが来るまで、ちょっとボンヤリしがちだった。
のんのが居なければ認知症になっていたかもしれない。

来て2、3日で私は「返そうか?」と言っていた。
母はやはり「可哀想じゃない」と言う。

こうして家族が増えた。

しばらくは油断しなかった。
のんのも短命かもしれない。
しばらくしてわかったが、彼女は喘息症状を持っていた。
呼吸が突然ゼーゼーと荒くなり、ヒックヒックとシャックリをし、吐きそうな動作をしたのち、ケロっとする。

もしかしてアレルギー反応じゃないかと思われた。
ケーキを作っている兄の横を通り過ぎたあとに症状が出たり、パンを掴んだ手でなでると喘息を起こした。
小麦粉の入っていないご飯に変えたら、上手くいった。

皮膚をなめてハゲにすることも何度かあった。
原因がわからない。これもきっと痒みなどのアレルギーだと思われた。薬を塗っても治らないので物理的に舐められないよう、首に医療器具を付けて過ごした。

のんのは数年に一度は獣医に行く猫だった。
7歳ぐらいが寿命かも。勝手にそう思った。

それから共に11年過ごし、えみりは21歳になった。
病院とは一番縁遠かった彼女に慢性腎不全による尿毒症の死期が迫っていた。

自宅治療も限界になり、延命をやめて1ヶ月。
苦しみ出してからは早かった。
1日で逝った。

死ぬ前には頻繁に鳴き続けていた。
大声で鳴いて相手をせがんでくるえみりに私は怒鳴っていた。
「うるさい!」

その頃は漫画を描いていて、私にとって瀬戸際だった。
10年描いてダメだったら漫画家は諦める。
期限が来ていた。締め切りに追われていた。勝手に作った重圧だった。
知らない間にヘルニアにもなっていた。
当時は気づいて居なかったが、激痛に耐えて机に向かっていた。
猫の世話で時間が無駄に費やされたような焦りがあった。

でも本当に余裕がなかったのは、間も無く亡くなることになる、えみりのほうだった。
冷静になった私は側から居なくなったえみりを探しに行った。

えみりは私にベッタリくっついて離れない猫になっていた。
トイレに行けばトイレの前で鳴いて待っている。
側にいないというのは、それだけショックを受けたと言うことだ。

椅子の上のえみりに謝り倒して、可愛がった。
もう音の鳴らない喉をゴロゴロと動かして、甘えてくれた。
その姿にホッとして涙がこぼれた。

幼い頃からずっと申し訳ないことをしている。
えみりの最期の時間すら、私は私のわがままで、この弱々しい姿を守ることもできない。自分が嫌いだ。大嫌いだ。

私は漫画家を目指すことをやめた。
作品を完成させることをやめた。
締め切りを作ることをやめた。
私の要領では連載漫画家は無理なんだと諦めがついた。

猫と猫のしたいことをして過ごす。
決めてから1週間は、えみりも安定して元気だったと思う。
前日は清々しい気持ちで、えみりを自宅に残して、家族と散歩にも出かけた。

急変したのは翌日の朝だった。
まだ死なないと思って、獣医に向かった。
輸液をしたら、暫くまた生きるだろうと思っていた。
覚悟してるつもりで、準備してるつもりで、それでもやはり、暢気に構えてしまっていた。
獣医は一目で「こりゃあもうアカンわ」と告げた。

看取りになるなんて、思ってなかった。
帰宅するまで体力が保つようにと、よくわからない注射をされた。
それが良かったのか、家まで無事に帰りつけた。
「亡くなる時に目を閉じさせてあげてください。亡くなってからだと瞼が開いたままになりますから」
看護師さんがそう言って、寒くないようにと湯たんぽを作ってくれた。

15時過ぎ、疲れていた母は横で寝ていた。

小刻みに震え続け、意識のなかったえみりが、突然起き上がった。
天に向かって丸めた背中がぐーっと伸び、同時に握りしめるような強い力でギュッと締められた前脚が、全力で地面を押した。
完全に拡散した瞳孔をなす術もなく見つめた。
看護師さんに言われた通り、目を閉じようとしたが、無理だった。
開いた口の中は乾ききっていて、血の通わない真紫色をしていた。
カッと見開いた眼のまま、シュンと箱座りになると、フーッと息が漏れた。
それでえみりは2度と動かなくなった。

むさしは死後硬直していて、カンピンタンだったが、えみりはまだ温もりも残っていて、生きているように柔らかだった。
私は母を起こした。
「亡くなったの?」
「わかんない。死んでる?生きてるのこれ?生き返る?」

箱座りのまま亡くなった、えみりは綺麗だった。
うんちもオシッコも漏らさなかった。
「ちょっと……抱き上げてみるね」

持ち上げたらわかった。
ぐったりと滑り落ちそうになった。
「あ。死んでます」

床に戻すと横の姿勢に倒れている状態になった。
偉かったねえと、何度も撫でた。
最期まで綺麗だね。目は閉じないけど。

だんだん、だんだんとその体から熱が完全に失われていった。

お葬式

むさしは合同斎場で焼いて貰い、骨も他の犬猫たちと共に、そこに眠らせた。

えみりは最後まで箱入り娘だ。
斎場の係の人が付き添ってくれ、模造の花に埋もれながら、テープではあったがお経も読んで貰って、お別れの儀式をした。

焼き場から帰ってきた骨はえみりの形をしていた。
「珍しいですよ、こんなに綺麗に全身が残っているのは」
額を撫でて見ると、まるっきり、えみりそのものだった。
ああ、皮がついているだけで、感触は骨なんだな。と変に感動した。

係の人の説明を受けながら、選んだ骨壷に骨を入れ、持ち帰った。

猫のいるしあわせ

猫との物語は今も続いている。
えみりが亡くなってから長い間、私はえみりをこの体に再現することができた。
撫でた感触、一緒に寝た記憶、気配、声も。
そのまま、いつでも蘇らせることができた。

あれから10年、次は21歳になったのんのが、22歳を目前にして寿命を迎えようとしている。2022年2月になり、数日前からてんかん発作を起こすようになった。
のんのは大きな手術を2回受けている。どちらも受けなければ死んでいたかもしれない手術だ。

もう、これ以上がんばらせるつもりはない。
穏やかな死が迎えに来ることを願いながら、今は発作をおさえる薬の投与をしつつ、彼女のしたいことをサポートしている。

ここまで来ると、えみりの記憶は少し薄れてしまったようで、昔の動画を見ると「こんな子だったかな?」と感じてしまう自分が居た。

もちろん、「ああ、えみりだ」と思わず涙汲んだり、嬉しく思ったりもするが。

時間は流れていると感じる。
私の人生は10歳でえみりと出逢ってから、これまでずっと猫の居る人生だった。

これから、のんのを亡くしたら、どういう気持ちになるのだろう。
相変わらず死の準備はできないまま、それが“突然”訪れるのだろう。

彼らが居た間の幸せが、死を語る、このカケラ(文章)から伝わるだろうか?

ごく短く纏めるつもりだったのに、まあまあ長くなってしまった。
私に猫を語らせたらしつこい。
鬱陶しいほどのエピソードが出てくる。

えみりとは阪神大震災も一緒に経験した。
むさしは子猫のまま、大人になった姿を見ることはできない。
のんのは3度医者から「死ぬ」と言われたにも関わらず、無事に生還し、今もパタパタ倒れながらも元気に暮らしてくれている。

猫の寝姿は幸せだ。
撫でてみると額の形がわかる。
なんらかの液体を分泌してるようで、結構しめっぽい生き物だ。
人間で言うと「しっとり肌」とでもいうのだろうか。

食べている姿も至福だ。食欲があるのは嬉しい。
うんちも出る。
形で占いもできる。
「今日のウンチ、キュンしてるんだけど」

家族とも会話が増える。
人との会話も増える。
絵のネタにもなる。
猫のLINEスタンプも作った。

そう、このあと2022年2月22日に発売するので宜しく。
#スーパー猫の日  だそうだ。
2の付く縁起の良い祭りの日だ。

2022年2月22日LINEスタンプ発売

とのことで最後は宣伝オチでした。

ありがとうございました。
また会いましょう。

ああ。猫がいて幸せだったなあ。
道端の猫たちにも、これからも、いつでも挨拶したいものです。

#猫のいるしあわせ


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