見出し画像

Nothing

「悪いな、創志。今晩の宿まで世話になって。今度、金が入ったら、奢らせてくれよ」
「分かった。いつになるか分からないけど、それまで首長くして待ってるわ。それよりも、うちで飲み直さねえ? つまみ適当に作るからさあ」
「いいな、俺も飲みたいと思ってたから、『家だったら』って思ってたんだよな」
 こうして、冴えない中華料理屋を出た俺は相川創志の家に上がり込んだ。

「こんばんはー、エスエーでーす。みなさん、今日は酒のアテを作るところを実況しまーす」
 台所にいる創志がスマホを相手に独り言を呟いている。
「何してんの?」
 俺は少し気になって、創志に声をかけてみた。部屋の片隅には俺の全財産とも言える荷物を申し訳なさ半分で置いていた。
「ちょっと待っててね、紹介するわ。今日はダチと一緒だから。ほら、名前言えよ」
「えっ、あっ、中間慎也と言います」
 創志に言われるがまま、名乗ってみたものの、訳のわからないまま、台所に突っ立っているだけだった。
「何してんの? ユーチューブでも撮ってるわけ?」
「ちょっと違うなあ。ポッドキャストって言って、音声だけでコンテンツを作るんだよ」
 そう言われたものの、今一つピンとこない。動画がないのに、何が楽しいのだろうか。そう思っている間にも創志はスマホに向けて、
「今から、ホタテを炒めまーす」
 とか、
「バターを投入してくね」
 などと話しながら、酒の肴を作っていく。
(もし、音声だけだったら、炒めた時の音でしゃべり声が聞こえなくなるんじゃね?)
 そういった疑問が頭を駆け巡る中、バターのいい匂いとともに、肴ができあがった。
「完成しました。エスエー特製のホタテのバター醬油炒めでーす」
 創志はそう言うと、
「慎也、すまねえけど、持って行ってくれるか?」
 と俺を使って、肴を運ばせた。さらに冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出すと、
「今から乾杯だよー」
 と言いながら、プルタブを上げた。プシュッという音が鳴る。
「カンパーイ」
 俺たちは声を揃えて言った。のどが鳴る。

 目を覚ました時には、ビールの空き缶が机の上に何本も並んでいた。硬いフローリングに寝ていたせいか、体中が痛い。カーテンはすでに開いていて、部屋に創志の姿は見えない。スマホにメッセージが残っていた。
「行くとこないんだろ? 明日までなら、いていいから。今日は遅くなるから、冷蔵庫の中のもの適当に食べといて。家の鍵は玄関に置いてある」
 そう言われると、何だか申し訳ない気がして、すぐに外の空気を吸いたくなった。真夏の朝の空気はどこかよそよそしくて、「お前を受け付けるものか」と抵抗しているようだった。散策ついでにコンビニに寄って、パンとコーヒーを買う。
 家に戻って、スマホに来ているLINEをチェックする。俺の友達には自営業が多いので、職にありつける情報があれば、それでいいのだ。しかし、どの業界も新型コロナウイルスが影響して、新規の採用を手控えているのが実情だと知るのに時間はかからなかった。パンをかじりながら、ひと通りチェックすると、決して広いとは言えない創志の家のリビングに大の字になって寝転がった。
「いつまでも創志の世話になるわけにいかないし、この先のことも考えないとな」
 そうは言いながら、この先のあては何もないと言ってよかった。

 スマホを眺めているうちに、昨日、創志がしていたポッドキャストというものが気になりだした。使い方から楽しみ方まで創志に熱く指導されたが、あまりに一方的だったせいか、こっちに熱量が伝わらないまま話だけ合わせておいたのだった。余裕などないくせに、アプリを開けてみる。 
「下側の真ん中にある"収録"をタップするんだったっけ?」
 大きな独り言は部屋の片隅に落ちていった。収録には二種類あって、ライブと呼ばれるものと録音と呼ばれるものがあると創志は教えてくれた。徐々に俺の中の記憶が蘇ってくる。
「録音ボタンを押したら、録音が始まるんだよな」
 そんな当たり前のことを繰り返し言いながら、録音を押すのを何度か躊躇した。そして、録音をタップした。
「こ、こんにちは、シンヤです」

「しまった、録音時間が十二分間だけだったのを忘れてた」
 初歩的なミスを犯すくらい夢中になって喋ってしまった。自分の置かれている状況、困ったこと、創志にポッドキャストを教えてもらったことを緊張しながら話したつもりだ。ところが時間配分なんか何も気にしなかったから、途中で切れてしまう。
 自分の声を聴くのが恥ずかしいからと編集もろくにせずに、ポッドキャストを放流した。どんな反応が返ってくるのかが楽しみだ。どうやら、LINEやツイッターで拡散できるらしい。それも試しにやってみた。ますます反応を気にするようになった。五分に一度の割合でスマホを開いてみる。反応が返ってくることはなかった。それでも気になってしまい、何度も覗いた。

 創志の家には二日滞在した。楽しかったが、だんだんと居心地が悪くなってきて、
「何泊でもしていいんだぞ」
 と言う創志の引き留めにも応じず、ネットカフェで一泊した。その後もLINEで友人に頼み込んでは泊まってを繰り返していた。とうとう泊めてくれる友人もいなくなったある日、スマホの通知が鳴った。ポッドキャストからだった。俺の中では「そういえば、ポッドキャストやってたな」くらいにしか覚えていない。
 ポッドキャストを開くと、「メッセージがあります」という通知が飛び込んできた。
「何だろう? 冷やかしか?」
 くらいに思っていた。
「シンヤさん、はじめまして。いろいろつらい目に遭われたんですね。私からは頑張ってとしか言えないけど、それじゃ無責任ですよね? せめて、体に気をつけてくださいと言わせてください」
 というのが、メッセージだった。
 メッセージの主は“まつこ”と表示されている。これでは男か女かも分からない。だが、俺は勝手に若い女子だと判断していた。理由はと問われると根拠は一切なかった。でも、三年くらい彼女がいない俺としては、これを出会いと思わずにはいられなかった。

      ※

 なんて刺激のない日々なんだろう。大手企業に入社して五年。経理の仕事をしているけど、業務に追われて余裕のない毎日を送っている。その割に中身は単調で、私はいつもそのことに対してイライラしている。

 早めに仕事を上がることができる日は、家の近くにあるジムに向かう。私の過ごす中で最も充実した時間だ。女性ファッション誌の一週間着回しコーデを忠実に再現した服を脱ぐと、まるで鎧を降ろしたかのように体が軽くなる。タンクトップにスポーティーなショートパンツを履いて、プレスマシンを動かす。負荷もちょっとだけ重めにして、自分がいかにマゾヒズムに侵されているかを誇示するかのように体を鍛える。汗が額にじんわりと浮き出たところで、ランニングマシンに移る。最初はウォーキングから入り、徐々にスピードを上げていく。そのうちウォークだったのがランに変わり、フィニッシュ目前に一分間ダッシュするのが私のルーティーンだ。その頃には、汗でタンクトップがベトベトになっている。シャワーを浴びて汗を流すと、元の服に着替えて、すっぴんのまま、マスクだけつけて帰宅する。
「ありがとうございました、お疲れさまでした」
 というジムのスタッフによるお決まりの挨拶を華麗にスルーしていくのが、私の中で快感になっている。

 家に帰ると部屋着に着替え、薄暗い間接照明の中でスマホをチェックし始めた。LINE、ツイッター、インスタグラム、いろいろ見てみたが、自分の心を満たしてくれるものはなかった。正確に言うとないことはなかったのだが、いずれも刹那的でやりきれないのだ。来るメッセージにリアクションを書き込んで終わり。
 最後に、ポッドキャストを覗いてみることにした。私がいつもチェックしているSAさんは、この日はアップしていないらしかった。彼はシンガーソングライターとしてメジャーになることを目標としていて、彼のポッドキャストのほとんどがオリジナルの曲の披露に当てられていた。時々、料理しているところをライブで配信していることがあり、コメント欄にも「音の飯テロだよね~」などと書かれることがあるくらいだった。彼のリスナーは五十人を下ることはなかった。がっくりしながら新着ポッドキャストをスクロールしていると、シンヤという見知らぬユーザーが名を連ねていた。いかにも初めてポッドキャストを上げましたといった風なのが分かった。アップの時間は一週間前の午前十一時前。
「そんな時間じゃ、誰にも見られないわ」
 と思いつつも、この前のSAのポッドキャストに一緒に出ていた友達が“ナカマシンヤ”と名乗っていたことを不意に思い出した。きっと、初心者感丸出しのキャスなんだろうなと思いながら、自然と耳をそばだてていた。
「こ、こんにちは、シンヤです。しゃべりは苦手ですが……よろしくお願いします」
 言葉に詰まる感じ、やっぱりしゃべりは上手くなかった。よく噛むし、言い間違いも少なくなかった。でも、何だか聞いていて気持ちが暖かくなった。暑い季節なのに、心がじんわりとする。
「俺は今、葉無し草なんだ。住むところもないし、人に頼ってばっかだし。まあ……今までもそうだたんだけど、甘えて過ごしていたような気がするんだ。やりたいこともなくて、流れのま、ままに生きて……」
(それを言うなら、根無し草でしょ)
 そう心の中でつぶやきながら、放っておけない感じを受けた。キャスにメッセージを送るのはSAだけと決めていたのだが、シンヤにもメッセージを送ることにした。キャスを聞きながら、メッセージを打っていると、
「前、旅館に勤めていた時はオーナーに本当に世話になった。恩は忘れない」
 という声が聞こえてきた。
(いい人なのかな)
 ちょっと期待している私がいた。メッセージを打つ指先も心なしか軽快に動く。”まつこ”というハンドルネームが色気に欠けるような気がしてきた。それを思うと、送るのを躊躇ってしまう。でも、今更になって、変更することは潔くないと思い直し、「送信」をタップした。

 シンヤが次のキャスをアップしたのは、メッセージを送ってから三日経った土曜の夜のことだった。
「こんばんは、シンヤです。今日は公園にいます。時間は夜の九時四十五分です」
 そのフレーズから始まった。夜、しかも公園、なぜそんなところにいるのだろうか? 根無し草、いや葉無し草って言ってたから、野宿でもするのだろうか。
「三日間、友達の家にいたんだけど、彼女が来るからと言って追い出されました」
 なんてことだろうか。せっかくコロナ禍の東京に来たのにこんな仕打ちを受けるなんて。
「仕事も探せるところは探したんだけど、長く働けるところがなくて、日雇いくらいしかない。あとは、向いてないと思うけど、デリバリーの配達員に登録しようと思ってる」
 そうだね、デリバリーの配達員なら人材不足みたいだし、引く手数多だよね。ちょっとホッとする。
「この公園はやたら遊具が多いな。最近危ないって言って撤去しているところが多いのにな。ブランコに、タコの滑り台、よく分からない複雑なのまで、いっぱいあるよ。あんまり言うと居場所がばれるから、これ以上はやめとくけど」
 タコの滑り台……。うちの近くの公園にも似たような遊具があって、「タコ公園」なんて呼ばれてる。ブランコもあるし、お年寄り向けの健康遊具なんてのもある。そう考えていると、胸騒ぎを覚えた。その一方で、まさかとも思う自分もいた。そんな公園なんて山ほどあるし、そんな偶然あるわけない。でも、一度気になると、胸の奥にこびりついて離れない。
 気が付くと、耳にワイヤレスイヤホンをつけながら、近くのタコ公園まで来ていた。

 夜十一時前のタコ公園は、街灯によってまばらに地面が照らされていた。夏場なので、街灯には羽虫やら蛾やらが集っていた。人影は見られない。やっぱり、都合のいい偶然なんてなかったってことか。そう思うと、折角公園に来たのだから、ブランコにでも乗って帰るかという思いが浮かんだ。週末は家族連れで賑わうタコ公園は私にとって、砂漠の向こうにあるオアシスに等しかった。ちょうど十二分のキャスが終わったので、私はイヤホンを外してポケットに入れ、ブランコに座ろうとした。
 ガサッという音がしたのは、ブランコを揺らそうとした瞬間だった。ひっくり返りそうになりながら、何とか足を踏ん張った。音の先はブランコの横にあるタコのオブジェになっている滑り台。私は、ブランコを降りて、タコの方に近づいて声をかける。
「すみません、どなたかいるんですか?」
 反応はない。もしかしたら、犬か猫がいたのかもしれない。それにしても、何も音がしない。息を潜めているのなら、動物の類ではないのかもしれない。スマホのライトをタコのオブジェの中に当ててみる。
 人の姿が映った。体格からして、どうやら男らしい。慌てて逃げ出そうとする男に、
「待って! 怪しい人とか、あと、警察とかでもないから」
 と私は声をかけていた。それでも彼は動きを止めない。慌ててタコのオブジェから飛び出していく。
「ねえ、あなたシンヤでしょ? キャス聴いてます……。私、あなたの味方になりたいんです」
 そう言うと、逃げ出そうとしていた男の足が止まった。男は髭が伸び、痩せ型の体型がやたらと印象に残った。

「ああ、確かに俺はシンヤだけど……」
 しばらくの沈黙の後に、呟くように話した。
「味方って何? 急にそんなこと言われたって、信じられるかよ」
 シンヤは、今度はハッキリとした口調で言った。
「何をしてるんですか?」
 振り返ってみると、警官が私たちのもとへ向かっている。ここで「この人に絡まれてるんです」と言えば、いかにも怪しい風貌のシンヤは職質されるだろう。
「あの……」
 とシンヤが何かを言おうとしていたのを遮るように、私は大声を出した。
「なんでもありません。ただの痴話喧嘩ですから」
「そうですか。こんな時間ですから、気を付けてくださいね。何があったか知りませんが、仲良くしてくださいよ」
 警官はそう言うと、パトカーの方に向かっていった。多少下世話なところがあったのだろうか。薄ら笑いを浮かべているように見えた。
「何、余計なことをしてくれたんだよ。俺のことを痴漢だとか、怪しいやつみたいに言っておけば、面倒に巻き込まれずに済んだのにな。あっ、逆か、俺が絡まれてるんだ」
「余計なことって……、私はただあなたのことを助けたいだけです。私、今一人暮らしだから、泊まっていきませんか? 泊まるところないんでしょ?」
「大丈夫、ダチに連絡とったら何とかなるし。変な同情をしてんじゃねえよ」
 シンヤは頑なだった。よく見ると、マスクが薄汚れている。何日間も交換していないようだった。ますます放っておけない。
「お腹空いてるでしょ? 私もこれから夕食なんで、うちで食べていきませんか?」
「しつこいなあ、もう俺のことは……」
 次の瞬間、グゥーという大きな音が鳴った。私は最初、何かの動物が鳴いたのかと思った。だが、シンヤが私から目をそらしたのを見て、あれは彼の腹の音だったのだと認識した。
「無理しなくていいんですよ。私も豪華な食事は作れないけど、それでもよかったら」
 私が言うと、シンヤは黙って頷き、私の後をついてきた。

      ※

 独身女の家に上がり込むのは久しぶりのことだった。旅館に勤めていた時に彼女がいることもあったが、彼女の家に、まして一人暮らしの家に入るのはしばらくしていない。しかも、見ず知らずのポッドキャストに一回書き込みをしてくれただけの女の家だ。だから、警官が来た時に適当なことを言ってごまかそうとしたのだが、女は何を思ったのか、自分の彼氏ですみたいな顔をして、困難を自分で丸抱えしてしまった。
「そういえば、名前聞いてなかったな」
 俺がポツリと呟くと、
「名前なんてどうでもいいでしょ。“まつこ”って名乗っておこうかな。これが私のハンドルネームだから」
「言っておくけど、俺は偽善が大嫌いなんだ。募金活動なんて見てると虫唾が走るし、外で何やらされてるんだって思う。お前がやってることも偽善だからな。付いてきたけど、俺は認めない。夕飯食ったら、すぐに出ていくぞ」
 俺の精いっぱいの強がりだった。偽善が嫌いなのは事実だが、背に腹は代えられない。
「私も偽善なんて大嫌い。でも、偽悪よりはだいぶマシだと思うんだけどね。私はシンヤさんから見返りを求める気はないです。だって、その恰好を見てたら求めようがないもの。ただ、あなたのキャスを聞いてて、嘘偽りが嫌いだなって思って、信頼できると思いました」
「確かに、俺は噓が嫌いだ。でも、見返りを求めないなんて本当か? そんなボランティア信じられるか!」
「つべこべ言わないの。何だか汗臭いから、料理ができるまでシャワーでも浴びたらどうですか? その汚い服も洗濯しておくし。着替えはちょっと待ってくださいね」
 と言うと、まつこは部屋の隅にあるクローゼットを開いた。いくつか荷物を出し、ファストファッションの紙袋を取り出した。その中から男物のTシャツと短パンを俺に渡した。特に興味があるわけではなかったが、
「なんで、一人暮らしなのに男物の服を持ってるんだ? 男がいるのに別の男を家に上げていいのか?」
 とさも当然の疑問のように聞いてみる。
「残念、ただの三年前に別れたヒモ男の忘れ物。でも、浮気相手を見繕うために、シンヤを家に上げたわけじゃないですからね」
 まつこは全然残念でもなさそうに答える。俺自身も何が残念なのかよく分からない。ってか、いきなり呼び捨てか! 呼び捨てにされる不快感を感じたところに、自分の汗臭さに対する不快感がそれを上回ってくる。すごすごと風呂へ向かうことにした。シャワーを浴びるのは、何日ぶりだろう?

 風呂から上がるとテーブルの上には、ご飯とサラダ、ハンバーグが並んでいた。
「風呂貸してもらって、ありがとな。シャンプーにボディソープまでいい匂いだったぞ」
「そうね、今はすごくいい匂いがする。ちょうどご飯できたところだったから、ちょうどよかった。普段、カロリーの少ない食事しか摂らないから、お口に合うかわからないけど」
「何これ、ご飯の上に乗ってる紫の粒は?」
「あっ、これ紫米。他にも黍とか雑穀が入ってます。ついでに言うと、サラダはトマトとレタスと生食用のほうれん草にオリーブオイルをかけてあります。それに、このハンバーグは豆腐とおからでできてるんです」
 とても、これではスタミナが付きそうにない。しかし、食べる以外の選択肢は思いつかなかった。茶碗もご丁寧に二つ用意されている。これも例のヒモ男の物なのだろうか?

 空腹は満たされた。カロリーの少ない食事で物足りないが、食わせてもらっているだけに文句は言えない。
「ありがとう」
 と一言呟いた。まつこはそそくさと片付けを始める。あっという間に、テーブルの上から皿や橋といった類のものが台所の流しへと運ばれていった。食事を終えて仰向けになり、ボーっと天井を眺めていると、俺の視界をまつこが遮った。
「ねえ、シンヤは何か夢とかあるの?」
「何を急に聞いてるんだよ。夢なんてねえよ。それよりも今日会ったばかりなのになんで呼び捨てなんだ?」
「いいじゃない、私だって呼び捨てにされてるんですから。そうする権利はあるはずです」
 メッセージを寄せた時のまつこのイメージは、おしとやかで優しいものだった。しかし、実際に会ってみると、ぐいぐいと迫ってくる。こうも自分の中の偶像と違うのかと愕然としてしまう。
「やっぱり、夢ないんだ。まあ、それは私も一緒ですけどね。思いついたんだけど、今から私と一緒に夢を見つけませんか?」
「夢なんて持ったところで、叶わないに決まってる。それは分かってることだろ?」
「そうかもしれないけど、私も夢を持って生きたいっていう思いがあるの。それにシンヤを見てると、あなたは夢を追いかけて生きた方がいいって思います。私が言うのもおこがましいんですけどね」
 その時、創志のことを思い出した。夢を諦めていないって言ったけど、正社員として社会に出た時点で夢を諦めたと俺は思っている。正社員しながら、夢を叶えられるほど世の中甘くない。
「だから、夢じゃ飯は食えないんだよ。夢を追いかけたって金を稼げるわけじゃないんだ」
「根性なしですね」
 まつこはポツリと呟いた。
「何ぬかしてるんだよ。俺は根性とかそういう、なんていうか精神論的なものが嫌いなんだ」
 一瞬にして、怒りがこみ上げた。まつこはその怒りをかわすように、
「SAのこと知らないの? あなたの友達だよね? 彼も同じキャスしてるけど、いつも夢を語ってる。正社員になってもなおだよ。就職はあくまで、社会経験を積むためで、夢は諦めないって」
 創志がそんなことをキャスで語っていたなんて。そういえば、俺はSAつまり創志のポッドキャストを聞いたことがなかった。
「私は、SAのキャスを聞いて、夢を持って生きたいって思ったの。失礼かもしれないけど、あなたは縛られるものがないから夢を追いかけることができると思う。だから、夢を持って生きて」
 しばらく俺は黙ってしまった。ようやく絞り出した言葉は、
「俺、何にもないから。夢もスキルも。どうやって夢を探せばいいんだ?」
 だった。

「親御さんはなんて言ってるの?」
 とまつこが聞いてきたので、いつものように努めて面倒くさそうに、
「親は俺が定職に就かずにブラブラしているのが嫌なんだよ。だから、連絡を取ってない」
 と返してやった。
「何言ってるの。どこの親もそうじゃない。そんなことくらいで、親と連絡を取らないなんて、親が悲しむよ」
 そう返すまつこに俺は言ってやった。
「うざいな、あんたもそんなこと言うわけ? 話になんねえな」
 すると、この世の憂いを全部背負ったような顔をしたまつこはこう言った。
「あなたの家はきっと両親がいて、ぬくぬくした家庭で育ったんだろうね。私なんか、母子家庭だからね。母親は忙しくて、ほとんど家では一人で過ごしてた」
「すまねぇ、そんな家庭の事情があったなんて知らなくて……」
 俺は地雷を踏んだなと後悔した。泣かれたら困るとも思った。
「だから、シンヤにはご両親が健在なうちにいい関係を築いてほしいの」
「……」
 かけるべき言葉を必死になって探したが、そんなものは俺の頭のどこにも存在しないと悟るのに時間はかからなかった。居心地の悪い空間が広がっていく。沈黙を破ったのは、まつこの方だった。
「ごめんなさい、引くような話して。今夜はシンヤの夢を探すんだったよね。黙ってちゃいけない」
 まるで自分に言い聞かせているようだった。申し訳ない思いを抱えながら、俺も付き合うことにした。

 まつこはその晩中、俺の夢探しに付き合ってくれた。

      ※

 仕事を終えて、私はいつものようにジムに向かった。いつもと言っても、最近は残業が続いていたから、久しぶりということになる。時刻は夜の六時を回っていた。マシンを動かしながら、ワイヤレスイヤホンから流れる音楽に耳を傾ける。曲が終わると、
「改めまして、こんばんは、『イブニンググルーブ』DJのシンヤです」
 とDJが挨拶をした。

 あの日、一度だけ宿なしで根性なしだった彼を部屋に泊めて、一晩中かけてお互いの夢を探した。彼はラジオDJを目指したいと言ってくれた。私が、
「キャスのお喋り上手だから、ラジオのDJなんてどう?」
 と冗談半分で言ったら、彼は本気になって、
「ラジオとか聞いたことないけど、やってみるか」
と笑いながら言い合っていたことが懐かしく思える。あの日以来、コミュニケーションをとるのはキャスの中だけになったけど、その後も彼がラジオDJ養成スクールに入学したこと、在学中からオーディションを受け続けていることなど、具に状況を聞き続けてきた。ラジオ番組を受け持つと決まった時は、彼は涙声になっていた。これで親と仲直りができるきっかけになりそうだとも言っていた。

 少しニヤニヤしながらマシンを動かし、ランニングマシンに乗っていると、
「さ、今日のゲストセッションは、シンガーソングライターのSAさんです」
 とシンヤが紹介した。SAもまた夢を叶えたのだ。みんな夢を叶えている。少しシンヤとSAが羨ましくなった。
「夢を叶えてないのは私だけか」
 嬉しく思いながらも嘆きたくなった。あの日シンヤに語った私の夢は、シンヤを傍で支えることだった。



#創作大賞2022

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?