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昭和きもの愛好会インタビュー5.北海道で日本刺繍を伝える工藤弘美さん

先に掲載の「国産ビーズバッグの基礎を作った人」で、聞き取り調査のセッティングをしてくださった札幌市在住の刺繍職人・工藤弘美さんのインタビューです。
Mさんの聞き取りの際は、あまりご本人のことを伺えませんでした。印象として残っているのは、メールやり取りなどで大変細やかに段取りをしていただいたので、刺繍をされる男性として、繊細で女性的なイメージがありました。例えば色白で細い指の方、などと勝手に想像していました。
お会いして驚いたのは、全く持っていたイメージと違ったことです。そういうことは多々あるとはいえ、「えっ、この人が刺繍をするの?」という感じを受けました。
たまたま札幌に行く機会があり、インタビューをお願いしましたところ、快諾していただき、下記のようなお話を伺うことができました。


1 全く違う分野から刺繍の世界に入る

工藤弘美氏は、工業高校の電子科出身です。卒業後、ソフトウエア会社に入社して、電話交換機のプログラムを担当していました。それが自分には合わないので辞め、浜松の本田技研工業の期間従業員として勤務しました。そこでも「何か違う」と思っていたとき、装飾デザインという雑誌に紅会の弟子募集の記事を見ました。
そして面接にいきました。22歳のときです。紅会の寮に入りました。
入寮して最初に師匠から言われたのは「髪を切ってこい」ということでした。3日で辞めるかなあと思っているうちに、5年経ちました。御礼奉公1年を務めて、札幌に帰ってから独立しました。

2 独立してから

御礼奉公から数年後に奥様の真津子さんと結婚しました。以後、奥様の営業力のおかげで仕事が続きました。
秋田にいたときは斎藤さんという古物商の女性から注文をもらい、いろいろ学ぶことがありました。池田重子さんとも交流がありました。色のセンスなどは池田さんから学ぶことができたそうです。
現在は工房nuihito:繍人(ぬいひと)を主宰され、奥様と一緒に札幌のNHKカルチャーで刺繍を教えておられます。

工藤さんの作品

3 手仕事を志す人へ

工藤夫妻

最後に手仕事を志す人へ素晴らしいメッセージをいただきました。
「ものを作るということは、自分と向き合う時間を持つことです。プロにならなくても、自分と向き合う時間は大切だと思います。」
「いろいろな職場で、上司や同僚に気を遣うことが多いと思いますが、自分の中にものを作ることで別の基準を持って欲しい。」
「手仕事のものが傍らにある人生は素晴らしいと思います。」
奥様のビーズバッグ作品も拝見することができました。こちらもMさんの流れを汲む繊細な手仕事です。

奥様のビーズバッグ
奥様のビーズバッグ

似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
(この原稿の著作権は昭和きもの愛好会に属します。無断転載を禁じます)

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