昭和きもの愛好会

「昭和きもの愛好会」は、戦後30~50年代にかけて制作・流通した着物のデザイン性と技術…

昭和きもの愛好会

「昭和きもの愛好会」は、戦後30~50年代にかけて制作・流通した着物のデザイン性と技術力の高さに注目し、調査及び再評価することで後世への記録として継承していくことを目的に活動しています。衣生活からライフスタイル全般へアプローチし、その情報を共有して参りたいと考えています。

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最近の記事

あのころの着物 絞りの羽織とその美しさ

京都新聞には半年間連載した「あのころの着物」の記事に加筆したものです。撮影場所には苦労しました。幸いモデルさんには苦労しませんでした。 絞りの羽織は奥様たちの憧れ 最近は絞りの羽織を着る方が少なくなりましたが、 昭和40年 50年は絞りの羽織の全盛期でした 。 絞りが流行して、しかも一般の方々の手にはいる価格になったのは、日本だけではなく 中国 韓国に絞りの技術を伝え 製造を発注したからです。この発注はききとり調査によるとかなり早い時期に始まっていました。 それは職人

    • 「文豪が推す」モスリン

      谷崎潤一郎がモスリンと銘仙を主衣装していた 谷崎純一郎全集で、面白い一文を見つけました。タイトルは「縮緬とメリンス 」で、大正十一年七月號「婦人公論」に掲載されたものです。婦人公論の編集者からの依頼で書いたもののようです。古い漢字と仮名遣いなので、筆者が解説を付けています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本の女子の着物、殊(こと)に晴着が不經済(経済)極まるのであることは今更私の呶々どどを要する迄もない。で、私は戍るべく若い婦人たちに縮紬を拾ててメリンスを用ふること

      • 映画「百合子、ダスヴィダーニヤ」大正時代の着物の魅力

        約15年前、映画の衣装提供をさせていただいたのは、大変貴重な経験でした、マイナーな映画とはいえ、スクリーンで役者さんがコレクションした着物で演技をされるのです。その中には、故人となられた大杉漣氏も含まれます。時代も大正時代ということで、時代にあった衣装を提供できたのは良い経験です。映画名は「百合子出すヴィダーニャ」です。この映画は、浜野佐知さんという女性の監督が政策されたもので、ロシア文学者の湯浅和子の人生の一部を映画にしています。 1 湯浅良子というロシア文学者 湯浅芳

        • 昭和の帯と着物で当時のコーデを再現してみた

          「昭和っぽさって何だろう?」と考えます。 答えは意外なところにありました。筆者は数年間着物の通販にかかわっていたことがあります。当時の一番の売れ筋は、着物と帯をコーデしたセットでした。帯締めや帯揚げもセットなので、利用される方には便利だったようです。その画像をもとに、「昭和のきこなし」を再現してみます。 1 昭和の着物と帯の特徴 当時、通販で掲載していた画像をいくつかご紹介します。着付けを担当してくださった方々も、昭和生まれなので本筋を外すことがなかったと思います。商品は

        あのころの着物 絞りの羽織とその美しさ

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        • 銘仙
          1本

        記事

          夏帯の面白さを熱く語る

          1 意図して集めたものではない夏着物と帯 筆者の夏帯コレクション、意図的に集めた訳ではありませんが、絵柄や手法に面白いものが多数集まっています。その多くは著書「夏着物の文様とその見方」でご紹介しておりますが、一部をここで御覧いただき、その面白さを味わっていただこうと思います。 夏着物を着る人が少ない>>形見分けなどでもらったが使わない>>それなら保存会に寄贈しよう そんな経緯でコレクションが増えていったような感があります。そのうちの何点かは、夏に使用された時の汗じみなどで展

          夏帯の面白さを熱く語る

          ビーズバッグの技法:和のビーズバッグならではの技術

          ビーズバッグに取り入れられた日本刺繍の技術 東南アジアのビーズ刺繍と比較して、日本のビーズ刺繍、特にビーズバッグで用いられた技法は、立体的であり、変化に富み、平面を埋めるという作業をはるかに越えた立体的な美しさがあります。 ビーズバッグの制作にあたったのが、日本刺繍の技術を持つ職人たちであったため、日本刺繍の技術がそのまま持ち込まれています。 その技法とは、まず「肉入れ」です。日本刺繍では立体感を出すため、本縫いの前に木綿糸などで地縫いをし、その上に刺繍を加えてゆきます。

          ビーズバッグの技法:和のビーズバッグならではの技術

          令和の女子大生に昭和の着物を着せたらあまりに似合ってて感動した話

          理事長から送られてきた画像を見て、「え、これは昭和の婦人雑誌のコピーではない?」と思いました。2023年6月現在、学生さん2名が研修に来てこられますが、そのついでに理事長が着物を着せたのです。 帯も昭和期のもので、よくあっていますね。 バックグラウンド情報をご存じなく、この原稿をお読みのかたに、私共は昭和期の着物を蒐集、保存する団体です。昭和といっても、主に太平洋戦争以降の着物を中心に研究しております。 ここで着用していただいた着物、2点とも織の着物です。向かって右の方の

          令和の女子大生に昭和の着物を着せたらあまりに似合ってて感動した話

          なぜ、このビーズバッグが日本にあるのか?

          「なぜ、これが、ここにあるのか?」 は、大阪みんぱくの「世界のビーズ展」に、所蔵のビーズバッグを貸し出した際、池谷和信教授からご指摘のあったことです。すぐに回答ができないまま、ビーズバッグの蒐集と調査を続けて参りました。 「和のビーズと鑑賞知識」刊行の際、知り合った職人さんは2名のみでしたが、大久保先生のご尽力もあり、「日本刺繍工房紅会」(くれないかい)でビーズ制作にかかわった職人さんの調査もできました。 調査にあたり気づいたことは、やはり「昭和」という時代がビーズバッグを

          なぜ、このビーズバッグが日本にあるのか?

          銘仙の歴史概説

          銘仙について、ファッション面からの記述はおおいのですが、その由来などの解説がすくないので、総論を書いてみました。 1 銘仙の由来  銘仙は、絹を素材とした先染の平織物の総称であるが、同じ絹織物でも丹前地、黄八丈とは区別して呼称された。語源は天明時代(17 8 1~1 7 8 8)に、経糸の数が多く、その織地の目の細かさから「目千」「目専」と言われたのが訛化して、「めいせん」になったという説がある。そのふるさとは関東地方に位置する伊勢崎、秩父、桐生、足利、飯能などで、これら

          銘仙の歴史概説

          「なつかしのきもの」・井上靖作「猟銃」をテーマに

          京都新聞の連載原稿からの抜粋です。 2018年頃から約3年間、京都新聞で「なつかしのきもの」というシリーズを連載しました。このシリーズのうち、「京都編」は京都の周辺でロケをしています。 その際の画像とメイキングの記録です。 1 「猟銃」ストーリー この回でテーマにしたのは、井上靖の作品「猟銃」です。猟銃というタイトルから予想されるような、ワイルドな内容ではく、恋愛をテーマにした小説です。 詩の同人雑誌に自己流の詩を掲載している「私」の所へ三杉穣介という全く面識の無い男性か

          「なつかしのきもの」・井上靖作「猟銃」をテーマに

          昭和きもの愛好会インタビュー8 旭川のユーカラ織 

          旭川市にある、「合同会社 優佳良織工房」を訪問させていただきました。こちらで代表の高嶋 良樹氏にお話を伺うことができました。 ここでスタッフの方々が製造と販売に携わっておられます。 ユーカラ織の素材は羊毛です。多くの色に染めた羊毛を使い、綴れ織や浮き織で、北海道の風景を描き出しています。作品のテーマは、ミズバショウやサンゴソウ、流氷や雪と、地域の特色を活かしたものがほとんどです。アイヌの伝統工芸を除けば、北海道の染織の歴史は本州のものと比べて歴史が浅いものですが、このユー

          昭和きもの愛好会インタビュー8 旭川のユーカラ織 

          夏着物・涼しさの演出

          1 なぜ暑い季節に着物を着るのか? 夏の一番暑い時期に、全身を覆い、かつ二重に帯を締めて出かけるのはかなり決意が必要です。着物好きでも「夏の着物は着ないんです」という方もおられます。いくら単の着物とはいえ、下にも長襦袢を着るので、一層の暑さであることは否定しません。汗も染みだしてきます。古い夏帯の多くが使い物にならないのは、汗の染みが広がっているせいです。 ではなぜこんな時期に着物をきるのか?と聞かれれば、私なりの答えは「涼しいからではなく、涼しげな演出が素晴らしいから」で

          夏着物・涼しさの演出

          昭和きもの愛好会インタビュー7・三代続く染色家の家系(染色作家・岩井雅実さんと祖父・前原利男氏)

          1 染色作家であり歌人でもあった前原利男氏 今回2023年の展示企画の際、岩井雅実さんより、祖父にあたられる前原利男氏が、染色のかたわら短歌を詠まれていたということを伺いました。展示準備に際して、お持ちいただいた歌集が、草炎(昭和7年)・「素彩」(昭和41年)・「北欧の詩と随筆など」(昭和59年)の三冊でした。 恐らく自費出版で読まれた歌をまとめられたものと思われます。 歌集の中で、前原氏が工房で友禅を描いておられるお写真がありましたのでご紹介します。 前原利男氏の歌は

          昭和きもの愛好会インタビュー7・三代続く染色家の家系(染色作家・岩井雅実さんと祖父・前原利男氏)

          牡丹から薔薇へ、そして昭和のモダンなバラへ

          1 愛されるモチーフ・薔薇 大正から昭和初期(太平洋戦争前まで)の着物や帯の文様を調べると、すこしずつ薔薇の絵柄が増えてゆくのが興味深いです。薔薇は遠慮がちに、着物の裾模様や帯の端に出現し、徐々にその範囲を広げてゆきます。 今も昔も、新しい意匠を求める呉服の世界です。顧客のすでに持っているものでは販路が開けません。まずはカジュアルなお品から、ということで、モスリン帯(上)や若い女性向けの昼夜帯(下)に薔薇が現れ始めます。 2 牡丹にとって代わった薔薇 明治・大正・昭和

          牡丹から薔薇へ、そして昭和のモダンなバラへ

          コレクション紹介その2 絞り羽織の技法

          コレクション紹介その2の解説は、絞りの羽織です。昭和30年から40年にかけて、女性のあこがれの的であった絞りの羽織です。国内での生産が間に合わず、韓国に発注されていた時期もありました。 名称をつけるとしたら、「桜色地縦縞模様総絞り羽織」。桜色の部分は矢羽根文様と四角の絵柄を絞りで表現し、その隣は赤・青・黄色の三色で染めています。縦縞部分には絞りで唐草文様と木の葉(もしくは花)、もう一本の縦縞は鹿の子絞りです。 前回のその1と同様に、絞りをご専門にされてきた池崎愛二氏に製法な

          コレクション紹介その2 絞り羽織の技法

          十日町紬の魅力を語る

          十日町織物の特色 十日町織物は、関西にお住まいの方にはなじみの浅いものかもしれません。 京都は古くから染め・織の技術をどちらも持つ産地として有名でした。 このどちらの技術も持つ、対等の地位を占める産地が北関東の桐生・足利です。 十日町もこの流れをくむ、染め・織の産地として有名でした。 十日町市の産業発展の理由は、養蚕が周辺で行われていたことや、麻の産地でもあること、そして日本海に近く、 ほどよい湿度が織物生産に向いていたことです。 新潟というと多くの方はコメの生産地で

          十日町紬の魅力を語る