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昭和40年代の観光ブームと大原

歌謡曲・「女ひとり」


この歌をご存知でしょうか?昭和歌謡です。1965年(昭和40年)の歌。歌ったのはデュークエイセス、作詞は永六輔、作曲はいずみたく。歌謡曲に着物や帯の素材が織り込まれているのが画期的です。全曲載せたいところですが、詳細は他で見ていただくことにして、肝心の部分のみ。出だしは「京都 大原三千院」です。

『恋に疲れた 女が一人
結城(ユウキ)に塩瀬の 素描の帯が』
(後略)

『恋に疲れた 女が一人
大島紬に つづれの帯が』
(後略)

『恋に疲れた 女が一人
塩沢がすりに 名古屋帯』
(後略)

薔薇の文様の紬です。


大原のイメージ


なぜこの歌にこだわるかというと、京都新聞連載の際、モデルのイメージをこの歌から考えたからです。テーマは「紬」でこのように解説しました。
紬は、本来は養蚕農家の副産物として、商品にならない玉繭やくず繭から作られていた布地です。昔は普段着だった紬も、最近はお洒落着として人気が高く、ざっくりした手触りと、節のある生地の風合いがもてはやされています。
この歌は最初の一番が大原三千院を描写しているので、他はあまりこだわらなくてよかったのですが、よく読むと突っ込んでしまいますね。
一番の結城に素描の塩瀬は、織の着物に染、それもカジュアルな素描なのでいいのですが、二番は大島に綴れの帯って、これでいいのか?とか。そういいながらそんな決まり守らなくていいのかも、と思ったりします。
三番は作詞家のいずみたく先生も困られたのか、塩沢絣に名古屋帯と、簡単にスルーされています。一番と二番に合わせてここも素材で勝負して欲しいところです。

昭和40年代の旅行ブーム


大原で大原女衣装の調査をしつつ、この時代の観光について伺う機会がありました。昭和30年代は戦後の復興に懸命であまり余裕のない時代でしたが、40年ともなると、生活に余裕が出てきます。着物も単価の高いものが売れはじめました。また、旅行をする余裕が生まれたのもこの時代です。特に女性の旅行については、戦前はもちろん、戦後すぐも女性の一人旅は、宿の人に「自殺かもしれない」と警戒されたときいています。
その制約が徐々に緩んできて、筆者の10代の頃になるといわゆる「アンノン族」の旅行です。この歌謡曲よりもう少し後です。
この歌は、こういう風に恋に焦がれて、しかも着物で、京都を旅してみたいという女性の憧れを表しています。観光にも、着物販売にも大きな経済効果があったのではないかと筆者は考えています。栂ノ高山寺や山大覚寺に、一つの歌の中で三か所も行っています(実際に行くと結構遠いので、一日三か所は無理です)。
昭和という奥深い時代を、流行歌から読み解くというのも、面白いことです。

似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
一般社団法人昭和きもの愛好会

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