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星振る夜のマジョリカお召

1 今までになかった光る着物


女性ならみんな光るものが大好きですね。クリスマス前後は特に身に着ける機会が多くなります。 昭和30年から数年間、洋服だけでなく、着物でも「光モノ」の流行があったことをご存知でしょうか?
そんなキラキラ系の着物をご紹介します。 産地は京都ではなく、遠く新潟県の十日町市です。 数年前、地元の服飾研究家の方のご案内で、十日町市周辺のジャガードお召の調査をさせて頂いたことがあります。その途中で見学させて頂いた十日町市博物館には、ラメ糸を織り込んだ美しいお召が数点保存されていました。
 このカラフルなお召が「マジョリカお召」でした。
十日町を100億円産地に押し上げ、6年間で2,5倍という急成長を遂げさせる原動力となったのがこのお召だったのです。昭和34年に登場して、数年の生命で消えた織物です。

2 なぜマジョリカと呼ぶのか?


マジョリカの由来は、マジョリカ陶器からきています。
地中海・スペイン領マジョリカ島に産出された、豊かな色彩のラスターと呼ばれる金属光沢で有名なマジョリカ陶器にその色調と肌合いが似ているというところからこのお召は命名されました。

拡大です。このような色調の二十織の織物で、機械で織られています。糸はオレンジや緑の段染めで、金銀糸が入っています。


「十日町町史」によれば、マジョリカお召は、これまでの織物は色数に制約があって多色の派手ものができない欠点を、模様捺染の緯絣、後に経絣とジャガード紋織の両方の技術を組み合わせ、金属光沢のラメ糸を織り込むというアイデアで実用新案特許となりました。

下のものが典型的なマジョリカお召の色使いです。

狭い意味では、上の画像のようなマジョリカ陶器特有の薄いベージュの地に、オレンジから緑にぼかしを入れた糸を織り込んだ織物ですが、広くはラメ糸を使用した十日町産のお召全般を「マジョリカ」と呼んでいるようです。 当時は生産会社により、更に細かな名称が付けられていたようです。

3 短かったマジョリカの生産期間

 マジョリカお召は発売後、空前のヒット商品となり、37年には年産18万反という生産量を記録するに至りました。流行は4年続きましたが、他産地の化繊による類似品の出現と生糸の高騰により、ブームは終焉を迎えました。

アラベスク文様のお召

>このラメ糸使用のジャガードお召は京都でもかなり流通していたようで、着物をお譲りいただく際、何点か入っていることがありました。昭和きもの愛好会では、どんな場面で、どんな風に着られていたかについては現在も調査を続けています。

ギャラリー百合庵での開催。

また、小規模ですがマジョリカお召の展示を開催したこともあります。実物を見たことがないという方が多いので、また展示をご覧いただける機会を設けたいと思います。

似内惠子 (昭和きもの愛好会理事)
昭和きもの愛好会HP

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