WRONGFUL LIFE

はじめてその言葉を知ったとき、心が停止してしまった。
もちろん、概念としては前から知っていた。障がい者を死んだ方が良いと思う人たちが一定数いて、出生前検査でなんらかの欠陥が見つかると中絶する人たちがいることだって知っていたのだから。
でも、単語としてしっかりとしたカタチを与えられると、ギクッとする。驚きと衝撃からの、停止。

Wrongful life。
つまり、間違った生。

命に正しいも間違っているもないのではないのか。生まれてはいけない命なんてないんじゃないのか。

そう思っていた私が、間違っていたらしい。
どうやら、生まれてきてはいけない命はあるし、生産性のない者は死ぬべきなんだそうだ。

そして、私はというと健常者の顔をして普通の社会人として生きているが、実は帝王切開で生まれている。
わたしは「普通」に生まれることができず、母のお腹にメスを入れることでしか生きることのできなかった命です。
だれに指さされたわけではない。障がい者ってなんなんだ、普通ってなんなんだ、っていうことを考え続けた結果、自分で思った。
私は「間違った命」だ。正しい方ではない。
だって、時代が違えば死んでいた命。母の命さえも奪って。
今でこそ、帝王切開という医学の進歩によってこの生を生きることができているが、人類の歴史を大きく見れば、私のように逆子で生まれれば、母親ともども死んでいた命なんだ。
そして、今元気に生きている私の弟も妹も、生まれるはずもない。私がデコから生まれてしまったばっかりに。

だから私は、障がい者が殺されたり、生まれるべきではなかったなんて心無い言葉を向けられるたび、殺されたのはわたしだと、心を踏みにじられたのはわたしだと感じて生きている。

私は何度殺されようと、何度傷つけられようと、この間違った生を生きる。
残酷な正しさに憧れを抱きながら。

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