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バイオレンスな本屋

2024/2/13

隙間時間があると、本屋に行きたくなる。
時間的拘束もなければ、いい作品にも出会えるし、いい時間潰しの手段だと思う。

先日もちょっと時間ができたのでGoogleマップで本屋を調べて、少し気になった本屋に向かった。古書店のような風貌だが、置いてある本は新品ばかりで、おじいさんが1人で経営している感じの少しヨーロッパを思わせるような本屋だった。
だが、何より感じたのは全く別のことだった。

その本屋は、かなり暴力的だった。

立ち読みしているとパタパタで顔の前を叩かれたり...とかではなく、とにかく品揃えが暴力的だったのだ。
というのも、思想がかなり強めのジャンルとど直球なタイトルばかりで、冒頭を読むだけでも精神がすり減りそうな作品が多かった。
フェミニズム、戦争、パーソナリティ、近代映画、リベラル。
そういったジャンルのものが多く、どの本を手に取っても思想が偏ったものばかりだった。

個人的には思想として共感できるものが多かったが、あまりに偏りすぎたストレートな「表現方法」に私は暴力的なものを感じた。
言葉は時に刃物になり得ると言うが、なるほど。
こういう時にも使えるのかと。

うまく説明できているかはわからないが、“両頬を鷲掴みにされ、「目を逸らすな」と言われながら首ごと左を向かされている”そんな気分だった。
お前らが見ようとしないから、考えないから世の中は良くならないんだ。そんな強迫観念を植え付けられるような、気持ち悪さがあった。
ベクトルは違うが、SNSなどで悪口を不特定多数から言われるような感覚に近いのかもしれない。(私は投稿しないので、その気持ちはわからないが)

とにかく、攻撃的なのだ。

本を読む時、私はそれが著者と私自身のコミュニケーションだと考えている。著者の考えていることを読み解き、自分なりに咀嚼、嚥下を繰り返す。
それが読書の楽しみだと感じるし、とくに小説や随筆、漫画などでは、人物を通して考えや感情を自分に取り込んでいく感じが面白い。
特に正解か不正解か、本当に著者の意図かどうかわからない部分も含め、コミュニケーションの形として優秀だと思う。
面白い作品はそれがしっかりと見え隠れする美しさを持つ。

しかし、その本屋に並ぶ本は違った。
これが正解だと、押し付ける暴力さがあったのだ。
まあ、「暴力」という単語を使っているのでネガティブに見えるかもしれないが、私はこれを否定したいわけではない。好みではないが、こういう表現方法もアリなんだと思う。
よっぽど、通行規制せざるを得ないデモ活動だったり、不特定多数が目にするネットでの攻撃だったり、関係のない絵画を汚す環境保全団体より理路整然とした暴力だと思う。

ただ、たった30分程度の滞在でかなりの精神的疲労を感じた。
その後、友人と合流してカフェでアイスティーを飲んでる間も、心臓がその本屋に引っ張られている感じがして、なんとも言えない感覚に囚われていた。

改めて、言葉と表現の強さを感じた。

結構好きな考え方があって、人生に使える言葉の数が決まっているというものなのだが、言葉を大切に使わなければと思わされる。
こんなくだらない日記を書きながら...。

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