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エントランスと僕

春になった。別れの季節と愁い耽ることも多い。今夜はこの酔人が思い出話でもしようと思う。かつてのEn-trans(以降エントランス)という名の、無名の一群の話だ。


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エントランスをコミュニティと呼ぶ人は多い。けれど、僕はエントランスはコミュニティではなく、未だにムーブメントだったと思っている。どこかで呼びかけて集まったデモ行進のような、皆が同じ方向を見て歩いていた、そんな「状態」に過ぎなかった。隣にいる人が誰かは知らないし、友人ですらない、けれども同じ方向を見て一緒に歩いた仲間だった。

エントランスはある種のヒッピー文化みたいなもので、まさにサマーオブラブだった。ルールや常識を捨て、自由と個性を求めた、そして野心家で理想郷を追い求める人たちが集まっていた。集まっていた、と言っても全員が同じことを思っていたわけでもなく、隣人を理解していたわけでもない。同じ方向を向いて歩いていた、ただこれだけだった。
つまるところ、「コミュニティが収束した」と言うより、「ムーブメントが終息した」と言う方が正しいのではないかと思ってる。今はもう皆バラバラの方向へ歩き始めた。自分の進むべき道を不確定ながらも見つけ踠いている。

そんなムーブメントの渦中に僕もいた。かつて僕もその一員だった。そして、そのミーム(文化的遺伝子)は未だ全員の中に残っている。ミームとは呼ばないほど小さな種だったのかもしれないけれど、僕たちの記憶の奥底に根付き、刈り取っても枯れることのない木となった。

今となってはこの地にほとんどエントランスのミームを持つ者は少ない。僕ともう数人くらいで、残党としてムーブメントの後に取り上げられたものたちを眺めることがある。僕らにとっての遺産であり、学堂であり、祭りであったものたちだ。旗を折られ塗り替えられた海賊の気分だが、昔とは違う輝きを持って日々の生活の中に溶け込んでいる。時代を感じる。諸行無常だ。だが、僕らの付けた傷痕は未だそのままこの地に残っている。

エントランスのミームを持つ、エントランストライヴはまだまだ続いていく。この一族でよかったなぁと、だんで皆と酒を呑みながら一人想いに耽る。

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