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300年以上も昔に書かれ、これまで100カ国以上の言語に翻訳された世界的ベストセラー〜デフォー 『ロビンソン・クルーソー』

難破、漂流、無人島とくれば『ロビンソン・クルーソー』。

昨今でもそうなのかは知らないけれど、多くの子どもたち、昔子どもだったおとなたちが、簡略化、編集された版や漫画版など、なにかしらに触れ、ざっくりとでも話の大筋は知っているだろう。

最低でも、乗っていた船が難破、遭難して無人島へ。

そこでとても長い間(28年)孤独に暮らすというもの。

*これもKindle Unlimitedなら「読み放題」対象

わたしもそれくらいの記憶、理解だったけれど、こうしてあらためて原典(翻訳版)を読むと、これが十二分に大人が読むにもたえるどころか、現代でも通じる(300年以上を経ているのに)、楽しめて学べるすぐれた文学作品であることがわかる。

本作はいろいろと本作ならではの特徴があるけれど

・イギリス文学史において最初の小説のひとつ
・300年以上前に書かれた(そして今も版を重ねている)
100カ国以上の言語に翻訳されてきた(この数は比類がない)
・人生の教訓がつまった箴言集としても
・キリスト教(プロテスタント)の宗教書としても(でも、説教じみてはいない)

などがあげられる。

これだけ長い年月を生き残ってきた、版を重ねて読まれてきたということは、それだけの理由、存在意義があるということの証左。

ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』やスチーブンスンの『宝島』、ゴールディングの『蝿の王』など、多くの類似ジャンルの作品が多大な影響を受けていることからも。

ストーリーについていうと、とにかくロビンソンが懲りない。

無人島で暮らすはめになるまでに三度は「もういやだ、こんなめには二度とあいたくない」と後悔、反省、逡巡する経験をするのに、懲りずにまた大海原にとびだしていくという。(奴隷になったことまであるのに)

まぁ、それはロビンソンに生来そなわった、そういう危険、危機(にあうかもしれないことも含めた)を求める、冒険への探究心というものがあり、それがこのキャラクターの核であるのだから、当然なのだけれど。(無人島から帰還したあとも、彼は「冒険」をつづける)

「小説」としては、無人島での生活がはじまってからは独白というか、そもそもロビンソンしかいないので、どうしてもドラマ性、リズム感がとぼしい。

それでも飽きずに(ドラマ、リズムがグイグイと生まれてくるまで)読みすすめられるのは、抽象度の高い内省、内観をロビンソンが日々繰り返していて、そこに人生の教訓めいた箴言、普遍的ともいえる気づきなどがちりばめられているからだろう。

著者(デフォー)がプロテスタントであることから、キリスト教におけるそうした立場からの視点にはなるけれど、そこにおしつけがましい説教くささはない。

後半、フライデー(ロビンソンの従者となる)や、他の登場人物たちがだんだんと参加してくると、やっとリズム、ドラマがうまれ、ラストの大団円にむかってどんどんとはずみがついて物語は進行していく。

これも著者の信仰が関係しているのかもしれないけれど、でてくるひとたちが基本的に皆、正直で誠実なことも、気持ちよく読める理由だろう。(悪人や害をなす人食い人種などが出てくるにせよ)

本作も例によって例のごとく、訳者による解説やあとがきも含めて読む、堪能することがワンセット。

でないとあまりにももったいない。

著者「デフォー」のひととなり、生き様、歴史を垣間見ることで、また本作への理解がふかまってゆくだろうから。


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