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価値ある人生を送るために、諸々の仏(ブッダ)が説いたこと



先月8月24日に稲盛和夫さんが逝去されました。
行年90歳。京セラ、KDDIという世界的な企業を創業し、日本航空(JAL)を再建した、世界的な実業家・経営者です。
 
著書も多数、経営に関する本はもちろん、人としてどう生きるのかを真正面から問うた本もまた、いくつも著しています。
 
その中の一冊、2004年に出版された『生き方』という本のプロローグに、次のような一節があります。
 
 
生きている間は欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。ほうっておけば、私たちは際限なく財産や地位や名誉を欲しがり、快楽におぼれかねない存在です。

なるほど、生きているかぎり衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるから、いちがいに否定すべきものでもないでしょう。

しかし、そういうものは現世限りで、いくらたくさんため込んでも、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。この世のことはこの世限りでいったん清算しなくてはならない。

そのなかでたった一つ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものではないでしょうか。死を迎えるときには、現世で作り上げた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、魂だけ携えて新しい旅立ちをしなくてはならないのです。
  
 
京セラとKDDIを創業し、JALを再建し、また私財を投じて財団を設立するなど、生前多大な功績を残した稲盛さんですが、この世のことはこの世限り、魂以外はあの世に持っていくことが出来ない、と語っています。
 
同様に相田みつをさんは、次のようにつづっています。
 
 
いいですか
どんな大事なものでもね
荷物はみんな
捨てて下さいよ
自分のからだも
捨てるんですからね
 
三途の川の番人のことばをかく

    『雨の日には…』 所収
 
書家として、詩人として生きた相田みつをさん。筆一本で生きると決め、人生と真摯に向き合い、生涯を通してたくさんのことばを残しました。
 
そんな氏であっても、あるいは、であるからこそ、どんなに大事なものであっても、あの世には持っていけない、と言っています。
 
冷静に考えてみれば、お二方のおっしゃる通りで、この世では価値があるとされ、人々が生きている間に求めてやまないものは、残念ながら、ことごとくあの世には持っていくことが出来ません。
 
…最後はゼロ・リセットされてしまうのなら、人生は何のためにあるの?と思いませんか。
 
稲盛さんは先ほどの著書で、続いて次のように述べています。
 
「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます。
 (中略)
現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は、心を高め、魂を錬磨することにある。まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。

 
 
わたしたちは、どうやら、本当に大切なことに気づかず、目先のことや、いたずらに欲望を満たすことを繰り返して、この世での時間を過ごしているようです。
 
では、どうしたら、心を高め、魂を磨くことが出来るのでしょう。
 
それには、この世での時間には限りがあることを、改めて実感する必要があります。
 
相田みつをさんの作品に、「いのち」と題したものがあります。
 
  いのち
アノネ
にんげんはね
あすのいのちの
保證された者は
一人もいないんだよ

  『しあわせはいつも』所収
 
また、曹洞宗の開祖、道元禅師は、次のように説いています。
 
無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉の赴くのみなり。
『正法眼蔵』「出家功徳」巻、『修証義』「第一章」
 
(現代文)
死期がたちまちに来たならば、国王でも、大臣でも、友人でも、従ってきた者でも、妻子でも、財産でも、助けることはできません、ただ独りであの世に行くのです。
 
 
わたしもふだんあまり意識して暮らしていないのですが、いのちの現実を突きつけられると、急に気が引き締まります。
 
いつまでも あると思うな 親と金
 
ということばを聞いたことがありますが、それに倣って言うと
 
いつまでも あると思うな この世時間
 
この世での時間は、自分が思っている以上に短いのかもしれません。
だとしたら、有意義に過ごすためにも、人生の軸となる指針が必要です。
あてどなく道に迷っている時間はあまりないのですから。
 
そして、人生の道しるべとなるよう説かれた教えが仏教=仏(ブッダ)の教えです。
 
その内容を簡潔にあらわすと、
 
仏教とは・・・
悪いことをせず、善いことをし、自分のこころを清くすること。

 
 
たったこれだけ?と思うかもしれませんが、これはお釈迦様以前に現れた6人の仏(ブッダ)と、お釈迦様を合わせた、7人の仏(ブッダ)が、ともに説いた教えです。
日本では七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)として、また上座部仏教では諸仏の教えとして伝わっています。
 
 
七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)
 
諸悪莫作(しょあくまくさ) 
修善奉行(しゅぜんぶぎょう) 
自浄其意(じじょうごい) 
是諸仏教(ぜしょぶっきょう) 
 
 
(現代文)
もろもろの悪いことをなさず
もろもろの善を行い
自らのこころ(意)を浄くする
これがもろもろの仏の教えです

 
 
とてもシンプルですね、「悪いことをせず、善いことをして、こころを清めること」なのですから。
 
さて、この七仏通誡偈にはこんなエピソードがあります。
 
 
唐の時代に白居易(白楽天)という詩人がいました。
ある時、白居易が道林禅師に、仏教の大意は何かと問いました。
すると、道林禅師は「諸悪莫作 修善奉行(悪いことをせず、善いことをする」と答えます。
「そんなことは3才の子供でも知っている」と、白居易が言うと、
「3才の子供でも知っている、けれども80才の老人でもこれを実践することは容易ではない」と、答えました。
道林禅師の深意を悟った白居易は頭を下げて立ち去った、ということです。
 
 
白居易は、仏教とは何か、という問いに、何か難しい答えを期待していたのかもしれません。しかし道林禅師の答えはとても簡単な、しかしとても深遠なものでした。
 
「悪いことはせず、善いことをする」
3才の子供でも分かることですが、しかし毎日の生活でこれを実践するのは難しい。
 
知っているということと、それを実践できるということには、大きな隔たりがあります。
 
人生は行いによってつくられますが、何を行うかを決めるのは心です。
 
ですから、よい人生を送るためには、「悪いことをせず、善いことをし、こころを清めていく」ことですよ、とお釈迦様はじめ過去に現れた諸々の仏(ブッダ)は、みな同じことを説いているのです。
 
稲盛さんは、仏教を知っていたのでしょう、そして、実践するよう努められた方だったのですね。
 


 
 
補記:
上座部仏教 パーリ語の「諸仏の教え」

七仏通誡偈のエピソードは、下記を参照させていただきました。

愛知学院大学禅学研究所 禅のこぼれ話 

奈良薬師寺 加藤朝胤管主の千文字説法


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