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誰も気にしないようなことでも自分にとっては大ごとだったりする

って事をBUMP OF CHICKENも歌っている。
透明飛行船はとてもいい曲だ。

今日、家の外から幼子の慟哭が聞こえてきた。
母親らしき人の子を宥める声も聞こえてくる。

子が何故そこまで咽び泣いているのか、彼(彼女?)の発している言葉ですぐに分かった。

お肉食べたいいいぃぃぃぃ!!!!
お肉、お肉食べたいのおぉぉぉぉぉ!!!!!!


と、なんともまぁシンプルな理由である。
文脈が分からないのでなんとも言えないんだが、親の宥め方から察するに今日の夕食が実は肉料理ではなかったという話みたいだ。

なんか、客観的に見れば微笑ましくも感じるし、ひょっとしたら笑えるような状況じゃないのかもしれない。人には人の家庭と地獄があるので。

いずれにせよその家庭の夕食が子の意にそぐわないものであり、それに対して子は癇癪を起こし泣き叫んでいるという状況だけは理解できる。

仮に今回のケースを、「今日はお肉の予定だったけどお魚になっちゃったの」と、元々交わされていた約束を反故にされたものだと仮定すると、子の訴えはスーパーでお菓子を買ってもらえないから駄々を捏ねているような我儘なものではなく、極めて正当性のある主張になると思う。

この場合お肉を食べたかったけど食べられなかった、というだけで泣きながら絶叫するのは確かに子供らしいと感じる反面、当人の感情を「子供らしい」という一言で片付けていいのか? と疑問に感じたりもする。

側から見たら「子供が我儘を言って泣いているだけ」とも取れるんだけど、本人からしたら必死なんだろう。
幼子が抱える期待なんて「世界の全てを手に入れられる」ぐらいの希望に満ち溢れてると思うから、それが叶わないとなると一気に心が絶望に支配されてしまう。それほど大変なことなんだ。

幼年期を経て、思春期を超えて、成人を迎えて、社会に従するような年齢になってくると、肉が食えなくなったぐらいで絶望はしなくなると思う。する人もいるかもしれんが。

ただ、そんな些細なことでも本人にとっては本当に本当に大事なことだったりするんだろうな、と人の親でもない癖に考えたりしてしまう。

もし自分が親になった時、一方的に「肉が食えなくなったぐらいで泣き叫ぶんじゃない」と叱咤するような人間にはなりたくないな。
自分には分からないけど、相手が何を大事にしているかを分かろうとする気持ちは持っておきたい。じゃないと私みたいな人間はすぐ毒親的な存在になってしまいそうだから。それだけは避けたいね、マジで。

BUMP OF CHICKENの透明飛行船という曲は「多分他人からしたら些細な事なのにそれを気にしている事を気付かれたくないから平気な振りをし続けてしまう小学生の話」を歌っている。

些細なことでも自分にとっては大変なことなんだよ!
っと堂々と主張できる豪胆な性格だったら少しは生きやすくなるのかもしれないけど、実際そうはいかない人も多い。

なんなら客観的に見て「些細なこと」と分かっているからこそ人に知られた時に「そんな事気にしてんの?」みたいな事を言われたくないし、「そんなん自分が一番分かってんだよ、放っておいてくれ」と思ったりもするだろう。

これは趣味嗜好についても同じなんだろうな。
「実はこれが好きなんだけど、周りに伝えたら変な人扱いされるから隠している」みたいな。

綺麗事なんだけど、ものの大小に関わらずこれが好きこれが苦手と堂々と言い合える社会が望ましいな。
誰が何したっていいじゃない。
法に触れてなけりゃあさ。

「自分って変かも」
「〇〇が好きだけど本当のファンみたいに詳しくないし……」
「これって自分だけなのかな?」

とか思わなくてええねん。
胸を張りなはれや。
そんな自分を誇りなはれや。
変じゃねぇよ。

変じゃねぇから安心してくれ〜〜〜!!!!


幼子の感情について考えてたのに最終的に思想が強い感じになってきちゃった。

おわり。


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